語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-08

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[2013-10-21]  人は一人で生きるもの  

「人は一人では生きていけない」という陳腐な言葉があるが、今の時代、実は一人で生きていくこと自体にそれほど苦労は伴わない。金銭を得る手段さえあれば、あとは大抵のことはどうにでもなる。何らかの情報が必要であれば人に聞くよりもネットで調べた方が早いし、自炊能力がなかったとしても食事はその辺のコンビニでも十分調達可能だ。

もちろん無人島で生きるのとは違って厳密には一人ではないわけだが、要するに「特定の誰かと深く関わらなくてもそれなりに生活していける」というのが現代社会の一つの特徴である。

そうなると、むしろ一人のほうが気楽であるといった具合に長所が勝ってきて、次第に「どうしてわざわざ他人と関わらなくてはいけないのか」という問いが生まれてくる。誰かと深く結びつくことはトラブルやストレスの元となり、下手をするとそれによって深い痛手を負うこともある。そういった物理的・心理的な負担を抱えてまで他者と関わることに一体何の意味があるのか。そういった現代人特有の疑問を代弁してくれているのが、D.O.作のエロゲ『家族計画』であると言えるかもしれない。

天涯孤独の主人公、リストラ中年、自殺願望の女性、中国人の密入国者、家出娘、etc... それぞれの家族を失い、社会的に弱い立場に立たされて生きる者たちが 運命的とも言える偶然の出会いののち、 同じ一軒家で共同生活を送ることになった。そこで提案されたのが「家族計画」。 それは、赤の他人同士が結束し、疑似家族として生活していこうという互助計画。そんな彼らの日常と行く末を描いた物語。

家族とは、何か。人と人の絆とは、何なのか。主人公たちはそんな問いに否応なく向き合うことになる。血縁関係が絶対というわけではない。だが、赤の他人同士がそうたやすく家族を作れるわけでもない。モラルも考えも嗜好も異なる彼らの「家族計画」は、かみ合わない歯車のごとく徐々に崩壊していく。

そうなることは誰にでも予想できた。だからこそ主人公は最初から家族計画に反対する。そんなものは幻想だと。家族なんて煩わしいだけだと。両親を失い、心ない親類のもとでの肩身の狭い生活から抜け出して以来、彼はずっと自分一人で生きてきた。他の誰かと親しい関係をもつことをひたすら避けてきた。裏切られるのが怖かったのだ。

「理不尽に奪われるのは、イヤだ。だったら、最初から持たない方がいい。
 持たないためには、関わらないのがいいんだ・・・」


だが、嫌々ながらも家族計画を受け入れ、皆と生活していく中で、彼は自分の心が変化していくのを自覚する。青葉という少女は主人公に対してこう言う。

「人は一人で生きるもの。あなたの思想よ、そうでしょう?
 でも、その言葉を口にするたびに、あなたは怒りの表情を見せる。」


主人公は自分の中の変化にとまどい、葛藤する。彼には否定できなかった。たとえ血のつながらない疑似家族であっても、そこにはすでに感情が芽生えていたのだ。頑なに他人を拒み続けてきた自分にも、人との絆を求める心がまだ流れていることを彼は徐々に認めていく。物語の後半では、家族計画が崩壊していくに際して、計画を維持するべく奔走する主人公の姿がうかがわれる。

このような彼の信条の変化は、この作品の大きな見所の一つだろう。そして、その劇的なまでの心の移り変わりと葛藤を、独特のテンポを持つシナリオの上で無理なく描いてみせたという点に、僕はこの作品の最大の価値を見出している。そして最も印象に残ったのが主人公の次の言葉である。

「人は一人でも生きていけるけど、それだと、生きていくことしかできないんだなって。」


おそらくこの一言に、本作品のテーマが集約されているように思う。書いてみればたった一文のメッセージ。読み上げて意味をとるのに5秒もかからない。だが、それを心から「そうだな」と実感させてくれるのが物語であり、その物語を美しい絵や音楽とともに描き、深い感動を刻み込んでくれるのが、この『家族計画』という作品である。

涙を誘う感動作というのは、ドラマにも映画にも小説にも、そしてエロゲ作品にも数限りなく存在する。しかしその中でも『家族計画』は格別に印象的であり、ここで流した涙は、他の作品とは違った重みを帯びていたように感じるのは何故だろう?  おそらくそれは、単純に「良い話だったから」とか「あのシーンが感動的だったから」とか、そういった類の涙ではないからだろう。この作品からは、たとえば「読者を泣かせよう」といった作為的なにおいを感じない。意図的に作り上げた感動シーンなどに頼らずとも、読者の心にダイナミックに響きかける圧倒的な力がそこにはある。

その力とは何か。思うにそれは、「人が生きていることの強さ」そのものではないか。生きていくことの問答無用さ、懸命さを、物語の最初から最後まで途切れることなく、真剣に問い続けている主人公の姿をそこに垣間見たとき、今日という日を生きている者として私たちは共感を抱かずにはおれないのである。だから私たちは、『家族計画』という物語それ自体に対して感動するのではない。物語へと向けた視線は、やがて鏡のように反射して自らの内面へ帰ってくる。そして物語を終えたとき、私たちはまるで忘れていたものを思い出すかのように、自分の中に流れている、温かいものが確かにあるんだということに気付かされる。物語を通して見つめ直した自分自身に対する涙、自分が生きているということに対する涙だからこそ、他のどんなものよりも深く直接的な感動となりうるのである。

本当に人の心を動かすものは、作られた物語の中にあるのではない。普段は身近すぎて意識しない日常。時には迷いや悩みを抱え、時には家族や友人に支えられ、泣いたり笑ったりしながら日々を生きているという、そんな当たり前のことが、実はどれほど温かくて、どれほどかけがえのないことなのか。そしてそれらは、人の手で作られ飾られたどんな感動物語よりも本当はずっと感動的なのだということを、この『家族計画』という物語は我々に見つめ直させるのである。


■ 参考作品
・『家族計画』 D.O. (2001)


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