語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-10

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[2012-04-10]  自己と他者の交わる場所  

田中ロミオの描くシナリオは、良くも悪くも他のエロゲ作品とは一線を画するところがあるというのは、読んだ者のおそらく誰もが感じることであろう。有り体に言えば「クセのある作品」ということであり、合わない人には本当に合わないようだが、合う人にとっては、まるで美術館で名作の前にたたずむような静謐さと、頭の中の神経回路がどんどん活性化していくような興奮、その両方が一度に訪れるような感動さえ覚えるものだろう。

ひとまずは、読む者を決して飽きさせないリズミカルな文体、という表現が可能であろうが、しかしそんなものはその辺の小説を探せばいくらでもある。そういうレベルではなく、数行読むだけで「これが田中ロミオだ」と否応なしに教えられるような、独特のテンションとでもいうべきものが一文一文を支配している。それでいて、いやらしさや押しつけがましさといったものがまったく無い。あまりにも自然で日常茶飯事な魔法のように、彼の文章は読む者の心に何の抵抗もなく入り込み、物語世界を構築してゆく。

しかしながら、その魅力的な文体でさえ彼にとっては一つの道具にすぎない。田中ロミオ作品の真価はその圧倒的に深淵なテーマ性にこそある。いや、深淵というのは少々語弊があるかもいれない。テーマそれ自体は至極単純なのである。言うなれば「自分と他者」。彼の目はその一点にのみ注がれている。

しかしその注ぎ方、描き方の度合いは尋常ではない。とことんまで突き詰める。それはもはや、彼自身の一つのphilosophyであり、それは文章の何気ないところにも、実に色濃くにじみ出る。田中ロミオの文章を読む際にひっきりなしに感じる威力の正体はこれだろう。そういった彼の作品の中でも特に力強い輝きを放っているのが、2003年にFlyingShineから発売された傑作中の傑作、『CROSS†CHANNEL』ではないかと思う。

社会に「不適合」だと判定された者を集めた学院。その中でも学院で最も重篤とされる主人公をはじめ放送部に集まった8人の少年少女たち。だが心に歪みを抱えた彼らの人間関係には亀裂が走り、合宿も失敗に終わる。合宿後、心中バラバラの状態で8人が街に帰ったとき、……人類は滅亡していた。

世界で8人だけの人類。モラルという概念の消失。彼らはしだいに自らの心の歪みを顕わにし始める。狂気と欺瞞によって彩られる、8人という社会の極端な縮図。

だがそれだけではない。巻き戻される時間、繰り返される一週間、並行世界の交差地点。

世界を何度繰り返しても破綻してしまう8人。「自己と他者」という命題を、誰もが解決できない。やがて主人公は、葛藤の果てに適応係数84という自分自身の本質に向き合っていくことになる。その過程を描く物語だ。

主人公のこんなセリフがある。

「一人で生きたいのか、群れて生きたいのか」


彼は物語の最初から最後まで、この問いを抱え続ける。彼は終始、この両極端の間で揺れ続けるのである。

「人が滅んで、人との摩擦がなくなったと思った。
 けどこの有様はどうだ。
 8人だ。たった8人で。
 争い、憎しみ合うのか。
 そうか。
 俺は真実を知った。悟った。
 ひとりじゃないと駄目なんだ。
 複数ではいけない。
 個でなければ。人は人のまま。」


しかし一方で、彼はこんなセリフも吐く。

「人は大切だろう。
 家族や友人は大切だろう。
 自分が人である限り。
 人でなくてもいいのなら、孤独という生き方もある。
 でも俺は人が良かった。
 本能じゃなくて、理性の怪物になりたかった。」


一人で生きたいのか、群れて生きたいのか。

田中ロミオは、最後まで回答を提示しない。いずれかを選ぶことがこの作品の趣旨ではないのだろう。そもそも、選ぶこと自体できないのだ。それは突き詰めて言えば、自己というものを意識するのに他者が必要であるという矛盾そのものだ。理性には他者の存在が不可欠であるのに、同時に我々は己の中から他者を排斥することによって理性を保つ。

自分一人だけで閉じこもって生きれば心は死んでしまう。しかし、周囲に完全に同化すれば自分という概念が失われる。要はバランスだと思うのだ。自分というものを保ちながら、周囲を、他者を受け入れていく。それは個々人のレベルのみの話にとどまらず、マクロな視点では文化どうしの交流、ミクロな視点では細胞の生命維持機構(細胞内外を隔てるのは半透膜である)など、あらゆる有機体は自己と周囲のバランスの上に成り立ってきた。

しかし、そのあり方は非常に不安定でもある。周囲の状況は流動する。常に正しいバランスが保てる保障はない。その脆弱さ、そしてひとたびバランスが崩れたときの危うさを、『CROSS†CHANNEL』は的確に突いているのではないか。

一人で生きたいのか、群れて生きたいのか。どちらか一方のみに走れるならば簡単だった。でも不可能だから、我々は常に両者のバランスを模索していかなければいけない。そう考えると、主人公の葛藤はなんら特別なことではないのだ。日常生活の中で誰もが意識的・無意識的に似たようなことを繰り返している。『CROSS†CHANNEL』という作品はそんな日々の理性の営みを大きく浮き彫りにして非日常という枠につり上げ、我々が普段見て見ぬふりをしている命題を容赦なくぶつけてくるのだ。

だが、物語作品は論文でもなければ哲学書でもない。そして多くの物語作品がそうであるように、この『CROSS†CHANNEL』においても、主題に対する明確な結論は示されない。けれどその不完全さを、僕は愛してやまない。

物語のエンディングについては、果たして主人公はこれで本当に良かったのか、誰もが考え込んでしまうところだ。しかしその一方で、この何とも言えない爽やかさはどうしたことだろう。答えのない物足りなさが、不思議なほどに心地良い。

それでこそ田中ロミオ、なのかもしれない。一筋縄でいかない世界観、そして深く鋭い心理描写。これだけ理性的な香りのする文章を並べながら、最後の最後で、読む者の理性ではなく感性に直接響いてくる。理屈では説明しきれない感動というところにこそ、物語の物語たる所以がある。彼の作品は彼の哲学であると同時に、どこまでも我々の心に訴える芸術性をも頑なに持ち続け、むしろ物語を進めれば進めるほど、それはいっそう研ぎ澄まされていくのである。


■ 参考作品
・『CROSS†CHANNEL』 FlyingShine (2003)



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