語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-05

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[2011-08-23]  車輪と向日葵の狭間で  

エロゲの傑作として名高く、発売から8年が経とうとする現在もなお、ひとたびエロゲの話題となれば必ず誰かがタイトルを挙げるだろうという作品がある。あかべぇそふとつうの『車輪の国、向日葵の少女』だ。

この作品のテーマを一言で表すならば、「社会」vs「人間」の対比ということになる。

「社会」の象徴となるのはもちろん法月将臣。厳格な指導者としての彼の言動一つ一つには安易に反論できぬ重みがあり、物語における社会の雰囲気そのものを決定づけている。一方、厳格な法治国家の権化そのものである法月に対し、「人間」を象徴する存在が、主人公が出会う3人の少女たちである。

主人公である森田賢一は、かつて人間としての全てを失った。内乱を企てた父親は法月によって殺され、自らが逃げのびるために友人たちを裏切り、その果てに結局、法月に捕まってしまう。そして彼のもとで「社会に貢献する人材」となるべく、7年間、個性や感情を全く無視した教育を受ける。

「どうして人を殺してはいけないのか?」と問われ、「か、かわいそうだからです・・・だって、痛いもの……死ぬなんて」と泣きじゃくる幼い主人公に対し、暴力とともに与えられた答えは、「人を殺してはいけないと法律で決まっているからだ」彼への教育は、その言葉から始まるのである。

しかしやがて、生命すら保障されない過酷な訓練を生き抜き、森田は、国家最難関と言われる「特別高等人」の試験に唯一の最終候補生として残るまでに成長する。そして、その最終試験が生まれ故郷でとり行われることになり、そこで彼はかつて裏切ってしまった友人たちと再会する。

その再会は森田に様々な感情を喚起させる。罪を背負いながらも必死に生きる少女たちの姿がそこにはあった。彼が7年前に失ったものを、彼女たちは捨て去っていなかった。

社会という車輪の歯車として教育され、「有能な人材」へと成長を遂げた主人公。しかし、彼はその車輪の下で懸命に抗って生きる少女たちに何かを教えられていく。心の中ではずっと抱いていた、かつて自分に力がなかったために救うどころか裏切って逃げてしまった仲間に対する後悔の念。それら全ての葛藤が、目の離せない最終局面での主人公の原動力となっていくのである。

「さち、灯花、夏咲。向日葵の少女たち。
 どんな歪んだ世の中でも──
 正義と、慈悲と、愛の心は、必ず守られる。」


さて、ここで注意したいのは、主人公の少年が少女と出会って物語が進んでいくというのはエロゲや美少女ゲームに見られる典型的なパターンであるということだ。この作品の最大の特徴は、「罪を犯した者は【刑罰】ではなく【特別な義務】を負わされる社会」という斬新な世界設定にこそある。そして生活時間制限の義務、親権者に絶対服従の義務、異性間接触の禁止という、異なる3つの義務をそれぞれ負った3人の少女たちとの出会い。もはや描かれるであろうテーマは明白である。

「時間が平等であること。親が幸福であること。人を好きになれること。
それくらい、望んでもいいじゃないですか・・・?」


時間、家族、そして恋愛。他のエロゲでも少なからず題材とされるものだ。シナリオの良いエロゲは、ただ恋愛など描いてそれで終わりというものではない。必ずストーリーを通して訴えてくるメッセージやテーマが隠れている。

そのテーマとなるべきものを、この作品は「厳格な法治社会」という強烈な物語背景を導入することによって一気に明確化してみせたのである。そのコントラスト、すなわち規律社会と人間らしさとの鮮やかなまでの対比こそが、この作品を数あるエロゲの中でも特に際だたせている最大の魅力と言っていいのではないかと思う。「これエロゲなのに実はいい話なんだなあ」などというレベルではなく、この作品は、設定の最初の段階から「このエロゲはエロや萌え目的ではなくて、こういった真摯な題材を描ききってみせる」という制作側の確固たる意志が伝わってくるのである。

また当作品はタイトルのセンスも素晴らしい。ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』と同様に、車輪とは巨大な社会の隠喩である。そして向日葵については作中でも触れられるように、何度踏みつぶされても太陽に向かって花を咲かせるその姿は、人間が奥底に持っている力強さを象徴する。作品のロゴマークは半分の車輪と半分の向日葵が合わさったようなデザインとなっており、どちらも同じように一輪、二輪と数えるものでありながら、その実まったく対照的である様を描いた点にこそ、この物語の芸術性が存在する。まさしく車輪たる国家と、向日葵のごとき少女たちという構図が作品タイトルの中にそのまま体現されており、その対比の中で葛藤を抱えながらも主人公が自らの道を切り拓いていく物語を表すものとして、これ以上ないものであろう。


■ 参考作品
・『車輪の国、向日葵の少女』 あかべぇそふとつう (2005)


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