語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2019-10

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[2014-08-22]  少数派精神が生んだもの  

僕がおそらく最初に名前を覚えたエロゲ会社は「minori」だったと思います。

“We always keep minority spirit.”(いつも少数派の魂で。)

というキャッチフレーズの「minority」と、日本語の「実り」を掛けた社名のようです。

僕は昔から小説を好んで読んでいましたが、一方で漫画やアニメといったものにも親しんでおり、2次元文化には僕なりに可能性を感じていました。そしていつの頃からか小説の持つ文章と、2次元の持つ絵が組み合わさったものとしてライトノベルにもたどり着き、古今の作品を読みあさった時期もあったのですが、「もう少し2次元の絵の要素が多くなってくれないものか」とも思っていました。もちろんラノベの独特のバランスも好きなのですが、その表紙とモノクロの挿絵だけで体現できる以上の繊細な表現力が2次元にはあり、かといってアニメや漫画においては、文章という要素が小さくなってしまう。この間の絶妙な文章/絵の比率で成り立つ媒体があれば良かったのですが、そんなものは僕は知りませんでした。

そんなある日、僕はインターネット上でエロゲというものの存在を知りました。(まあエロいゲームとしては前から認識していましたが、どうやらちゃんとした物語になっている作品があるらしいという情報を得たわけです。)そこで直感のようなものがありました。「自分の求めていたものは、これじゃないか?」と。文章を読んでいく物語形式でありながら、絵や音楽といった演出も十分すぎるほど含まれている。まさしく理想的だと思いました。しかし、多くの作品は「エロいゲーム」や「恋愛シミュレーション」の延長のようなものであり、僕が求めるような理想的な作品はなかなか見当たりませんでした。もっとこう文学的な要素の強い作品は無いのだろうか。理論上は可能なはずなのに、やはりそういったものは売れないのだろうか。そうやって途方に暮れていた時にたどりついたのが、minoriのホームページでした。

“We always keep minority spirit.”

会社概要に書かれていたその一節が、強く脳裏に焼き付きました。エロゲをエロゲではなく「インタラクティブ・ノベル」と呼び、多数派に迎合せず、自分たちが本当に良いと思える物語制作を追究していく。そうか、こんな会社もあるのか、と僕は感動しました。そしてそのホームページで僕が目にしたのが、当時新作として宣伝されていた 『ef』 のOPムービーでした。そのあまりの質の高さに驚嘆するとともに、作品自体が持つ格調高さをも確信した僕は、「エロゲだ。僕はエロゲをやらねばならない!」と強く決意しました。以後、僕はエロゲオタクとなった次第です。

最近、minoriによる最も古い作品である 『BITTERSWEET FOOLS』 を終えたので、自身のこのエピソードを懐かしく思い出しました。自分がエロゲに可能性を感じるきっかけとなった会社の、その第一作目にようやく帰ってきた、というちょっと不思議な感慨です。

  ・「BITTERSWEET FOOLS」 2001年


  ・「ef - the first tale.」 2006年


  ・「12の月のイヴ」 2014年


こうやってOPを並べてみると、映像技術が驚くべき進歩を遂げていることがわかります。しかし、「技術の進歩が、芸術性の進歩とは限らない」ということも、如実に示されているように感じます。

真ん中の『ef』のOPは有名で、エロゲ史上これを超える映像作品はいまだないとさえ言われます。事実そうだと思います。ですが、第一作の『BITTERSWEET FOOLS』のOPも、絵の丁寧さや細かい技術はその後の作品に遠く及びませんが、だからこそ味があるように思います。小手先のテクニックで誤魔化せないセンスそのものが描出されているような迫力があって、この3つの中で一番好きなのはどれかと聞かれたら、僕自身は『BITTERSWEET FOOLS』と答えるでしょう。

そうして見ると、一番最近の『12の月のイヴ』は、映像は他の二つ以上に凝ってるんだけれども、何かが足りない。それは単純に映像自体の問題だけではなく、OPの向こうに存在する物語の雰囲気そのものにも言えることだと思います。どうも最近のminoriは、当初目指していたものと違う方向に進んでしまっている気がします。「可愛い女の子を描いて、綺麗な風景と音楽を付ければそれでいい」という、他の多くの凡作エロゲと同じ考えになりつつあるような、そんな気配を感じるのです。

少なくとも第一作目の『BITTERSWEET FOOLS』は、OPも、そして中身も、もっと強い何かを感じさせるものでした。

イタリアのフィレンツェを舞台にした若者達の群像劇。登場人物の多くはいわゆる裏社会を生きる人間で、それぞれ自分の過去に闇を抱えながらも、今のささやかな幸せを守る為に日々を必死に生きていく。そんな彼らの姿が、フィレンツェの美しい風景とともに描かれます。その風景の描写にしても、ときには建物にまつわる歴史に触れ、上手にシナリオに絡ませてくる場面もありました。銃や爆薬の特徴や使用法も、(それが現実にどれほど忠実なのか僕には知る由もありませんが、)丁寧に説明され、物語の緊迫感を引き出してくれました。少なくとも相当の知識量と想像力がなければこのシナリオは書けない、と思わせるものでした。

会話も一文一文が洗練されているかのようで、読んでいて全く飽きません。

「辛さや苦しみは尖った宝石のような物で、それは触れると痛いけど、結局幸せを彩るものなんだ。」


時々挟まれるこういった名言のようなセリフも、物語に良いリズムを与えてくれます。この一文は個人的にかなり気に入っていて、「BITTERSWEET FOOLS」(苦くて甘い、愚か者たち) はこの物語を表すのにまさにふさわしいタイトルですが、それを象徴するようなセリフのように思えます。

minoriにとってもやはりこの作品は原点であり、「minority」の信念がよく現れている作品だと思います。多くの人に評価されることはなかったかもしれないけれど、エロゲ史に刻むべき圧倒的な傑作です。いや、むしろ2001年の時点でこれほどの作品を世に出していたことは恐るべき先見の明であって、エロゲに対する見方も変化してきた現在なら、ひょっとすると大歓迎されるのではないかという気さえします。

悲しいことに、この『BITTERSWEET FOOLS』のような繊細な機微に富んだ作品というのは、13年経った今でもなかなか現れません。むしろ2000年代のほうがそういう作品が多かったのではないかと思えるくらいです。画像・映像の技術がこれほど発達したのに、シナリオは……と思うとはがゆくなります。もしかしたら「絵が綺麗になったから、もうシナリオは頑張らなくていいや」という空気があるのかもしれません。

今のminoriはどうも迷走しているように感じられます。しかしかつて、彼らは“minority spirit”をもってこの『BITTERSWEET FOOLS』を作り上げたのです。『ef』がアニメ化するほどのヒットとなり、会社全体の意識が変わってしまったのかもしれませんが、どうか当初の理想を忘れずに持ち続けてほしいと願うばかりです。(そして我々消費者側もまた、シナリオの良い作品を見抜く努力を怠ってはいけないでしょう。売れない商品は作れないのが企業ですが、逆に言えば売れる商品は作ってくれるのです。プレイヤーが成長すれば業界もまた一緒に成長できるのではないかと思います。)

そしてエロゲ業界自体にも、第二第三のminoriが出てくれるといいなと思います。エロゲという土壌にはそれだけの可能性が眠っていると僕は確信しています。『BITTERSWEET FOOLS』を終えて、あらためてそれを感じました。こういった物語をもっともっと生み出してほしい。13年経った今なら、このminorityがmajorityに昇華することだってできるかもしれない。そんな風にさえ思えます。


■ 参考作品
・『BITTERSWEET FOOLS』 minori (2001)

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