語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2017-07

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»

[--------]  スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


[2014-10-25]  伝説たる所以  

ついにあの“伝説”のエロゲを終えました。

数多の古株エロゲーマーたちが口を揃えてまるで崇拝と呼ぶに等しいほどの絶賛を与え、「いつかこれを超えるゲームに巡り会える日が来るだろうか……」と遠い目をして語る。そして実際、発売から18年が経ち、エロゲがこれほど多種多様に発展を遂げた今の世でもなお、金字塔中の金字塔とされるエロゲ作品。

その名こそ、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』。

今、自分の手でこの作品を最後まで終えて、上記の評価が誇張ではなく正しいものであったことを実感しています。もちろん物語作品に対して明確な優劣というのはつけられるものではないし、見方によってはこの『YU-NO』を越えるシナリオも、昨今のエロゲにはたくさんあります。ですが、緻密なSF的理論と巧妙な世界設定を敷いた上で「セーブとロードが可能である」というゲームの特性そのものをシナリオの中に取り入れ、時空間をテーマにした壮大な物語として高次に完成されているのが『YU-NO』の最大の特徴であり、いわばエロゲという媒体の本質を追究したという点では、他の作品には無い格調高さを有していることは事実です。(多少のネタバレ含みますが、核心的な部分は避けて書きます。)

「エロゲにもシナリオが良いものがある」と言うと、「だったら小説でいいじゃないか」という声が必ず返ってきます。その意見はもっともで、僕でさえそう思うときがあります。面白い話を読みたいなら、小説を読めばいい。面白い話を書きたいなら、小説を書けばいい。制作者側か消費者側かを問わず、エロゲに関わる全ての人がその葛藤を多かれ少なかれ抱いているのではないでしょうか。そういった中で、この『YU-NO』という作品はまるで光り輝くかのように、堂々とエロゲの可能性を示してくれているのです。ゲームでしか描けない物語がある、ゲームだからこそ実現する作品があるのだ、と。シナリオとシステムがこれほどまでに有機的に結びつき、人間の心にかつてない感動を与えてみせた『YU-NO』の価値は、実に計り知れないものがあると感じます。それは単に「ゲームであることをうまく利用している」というレベルの話ではなく、システムを投射する先の物語そのものの世界観の奥深さ、ストーリー分岐の複雑さまでもが芸術的な領域に達していて、それもまた『YU-NO』の完成度を高める重大な要素になっているのです。

Wikipediaに当作品の記事があり、その冒頭に、「無数に存在すると言われる並列世界を渡り歩き、隠された謎を解くことがゲームの目的である。並列世界はSFの題材としてはなんら珍しくないが、物理、数学、哲学、歴史、宗教の知識を元に作られた独特の世界観は多くの支持を得た。」と書かれていますが、まさにその通りでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO#.E4.B8.96.E7.95.8C.E8.A6.B3.E8.A8.AD.E5.AE.9A

驚くべきことに、ここに書かれてある内容は現実の物理学の法則ではなく全て作者による創作であり、しかもこれらは読者による独自解釈ではなく、作品内で実際に説明されるものです。さすがに数式は直接表示されませんでしたが、作品内の人物の言葉と現実の物理学の知識を組み合わせると、ここに書かれてある数式が自ずと導き出されます。つまり作者の頭の中ではこれら架空の物理理論があらかじめ想定されており、その上で物語を書いていたということが、自分でこの作品をやってみて初めて分かりました。

また架空の物理法則とはいえ、「事象科学」という名の学問で、目には見えない「因果律」を数式で捉えるという非常に面白い試みです。原因から結果へと流れる因果律を一つの流体に見立てて、流体力学の方程式を適用するところなど、理系脳の人ならついワクワクしてしまう要素ではないでしょうか。またブラックホールの半径とも言えるシュバルツシルト半径の概念を事象にまで拡張し、いかなる手段を用いてもある出来事の発生から逃れられない状態を「事象のシュバルツシルト半径の内側にある」と解釈し、それを「運命」と称するあたり、ある種の物理学的情緒とでも言うべき妙が感じられます。

この「事象科学」を応用した「宝玉」という装置により、主人公は並列世界間を移動できるようになります。これがゲームシステムでいうところの「セーブ」と「ロード」に当たります。つまり朝起きてAという場所に行くか、Bという場所に行くかで世界は分岐しますが、その地点に宝玉を置いておき、Aに行ってもし不都合があれば宝玉をロードすることで朝起きた時間と場所に戻り、改めてBに行くという選択をすることができるのです。この際、Aから戻る直前にもう一つの宝玉を置いておけば、Bに行ってしばらく話を進めたあとに再度、Aに行った場合の世界へ移動することが可能になります。これはたとえば、Aに行くのが正解であるけれども同時間帯にBで得られるアイテムを持っていなければAで生じる問題を解決できない、といった場合に有効なのです。つまり『YU-NO』のセーブ&ロードは単純に「間違ったからやり直す」という類のものではなく、「時間をさかのぼった」「別の並行世界に移動した」というプレイヤーの行動が、そのまま主人公の行動として記録されるのです。作品内に何度も出てくる“時は可逆、歴史は不可逆”というキーワードは、作中のとある人物が提唱する並列世界構成原理の仮説であると同時に、ゲームシステムそのものの説明にもなっているわけです。

物語は、現代日本の平凡な学生・有馬たくやの日常生活から始まります。

彼の住む境町には遺跡のようなものが存在し、歴史学者である彼の父・有馬広大がそれに関する研究を行っていたが、少し前に不幸な事故に遭って亡くなっていた。そんな父親が書き残した手紙をたくやが発見し、宝玉を入手するところから物語の幕は開ける。その手紙には「歴史の真実を探るために私は姿を消すつもりである」という趣旨のことが書かれており、「宝玉を8つ全て揃えた状態で、○月○日の午後10時に海岸に来るように。そこにお前が会うべき人物がいる。」という指示があった。○月○日とはまさに今日のことであり、午後10時も目前に迫っていた。ところが父親が遺した装置には宝玉は2個しか入っていない。たくやは困惑しながらも、ともかく午後10時に海岸へと向かう。そこで待ち受けていたのは、たくやの通う学園の理事長であり父親のかつての研究仲間でもある龍蔵寺という人物で、彼はたくやに銃を向けて「父親がお前に託したはずの装置を渡せ」と脅してくる。父親が言っていた「会うべき人物」とはこの龍蔵寺なのか?とたくやが躊躇しているうちに、周囲の空間に異変が生じる。龍蔵寺が「カオスの矯正か……」と焦りを見せる傍らでたくやの意識は失われ、気付いたときには海岸近くの遺跡の前に倒れていた。現在時刻に変化はないが、周囲に龍蔵寺の姿はなく、2個の宝玉も無事だった。翌日学園でたくやは龍蔵寺とバッタリ会ってしまうが、向こうが昨夜のことなどまるで無かったような素振りであり、なおかつ演技とも思えない様子であったため、たくやはいよいよ父親の手紙に書かれていた並行世界の存在を予感する。そしてこの時空の並行世界のどこかに父親がまだ生きているのではないかと考え、それを確認するためにも、まずは時空のいたる所に散らばってしまった残りの6つの宝玉を探し出すことを決める。並行世界を渡り歩きながら様々な人と出会う中で、たくやは境町の遺跡に隠された謎、父親が失踪した理由、さらには龍蔵寺の壮大な企みについて断片的な情報を手に入れていく。

……以上が大体のあらすじになります。が、いくつもの並行世界を行き来して苦労して全ての宝玉を集めたあと、この現代編はあくまで前座にしか過ぎなかったことがわかります。8つそろった宝玉の力によって、主人公は異世界へ飛ばされるのですが、この異世界編こそが『YU-NO』の真骨頂です。異世界編を最後まで終えたとき、今まで断片的にしか与えられなかった情報全てがまるでジグソーパズルのようにかみ合い、巨大な物語の全貌が目の前に完成する感動を味わうことができます。父親の有馬広大が提唱した「400年周期の仮説」、つまり日本史において重大な事件が400年ごとに起きているという現象の裏には一体何があるのか。主人公の住む境町と異世界にある奇妙なつながりとは何か。父親はどうなったのか。龍蔵寺は何者なのか。そして作品タイトルにもある少女「ユーノ」とは一体誰なのか。全てが一本の糸で繋がったとき、まるで宇宙の最果ての光景にたどりついたような、途方もない読後感が我々の胸に宿ります。

これほどのゲームが人の手でつくられたということ自体に、僕はまず感動を覚えます。人間の想像力とは、これほどまでに壮大なのです。しかも驚くべきことに、この『YU-NO』が世に出されたのは1996年であり、windowsではなくその前のPC-98のソフトとして当初は発売されています。それはいわばエロゲが「エロいゲーム」だという認識がまだ圧倒的だった時代です。この三年後の1999年にようやく『Kanon』が世に出され、感動的なシナリオということで爆発的なヒットを喫し、エロゲはシナリオ重視の方向に大きく加速していくのです。作者の菅野ひろゆき(当時は剣乃ゆきひろ)氏は、間違いなく天才クリエイターだったと言えるでしょう。2011年に43歳の若さで急逝してしまったことが非常に悔やまれますが、この『YU-NO』一作品だけをとってもエロゲ界に与えた影響は計り知れず、これからも最高傑作の一つとして語り継がれていくことは疑いありません。

繰り返される歴史、宇宙の壮大さ、人間の尊厳、生命の価値、日常の美しさ、家族愛、そして男女の恋。世界を構成するすべてがこの『YU-NO』の中にはあります。まさしく究極の物語と言うべき作品でした。

  *  *  *

ちなみにこの『YU-NO』ですが、windowsより前のPC-98用のソフトというイメージがあって「そもそも今のパソコンでできるの?」と思う人も多く、実際僕もそう思っていましたが、windows向けにも発売されているので普通にできます。数作品をまとめてwindows版にして詰め込んだ「エルフ 大人の缶詰」という商品があり、その中に『YU-NO』が入っているのです。とりあえず僕のwindows7のPCでは最後まで問題なくできました。windows8で動作するかは不明ですが……。

この「エルフ 大人の缶詰」は数量限定なのですが、今はamazonの中古販売等で入手でき、価格は二万円ほどです。(若干高いですが、普通のエロゲでも新品が一万円することを考えればまあ許容範囲でしょう。)

1990年代のいかにも古くさい絵柄に抵抗がある人もいるかもしれませんが、多分すぐ慣れます。むしろ低解像度で色彩も限られていたであろう時代にこれほど豊かなCGが描かれていたのかと感心するほどです。(まばたきだってするんですよ。最近のエロゲでさえ一部にしか実装されていないのに……。)シナリオにしろ絵にしろ、作った人の並々ならぬこだわりと努力が直接伝わってくるようで感慨深いものです。もちろんいつか絵柄を現代風にしてリメイクとして発売してくれたら、それはそれで大勢の目にも触れるようになって喜ばしいのですが、『YU-NO』はこの昔の絵だからこそ生き生きと表現されているという気もします。まさしく伝説と呼ぶにふさわしい作品でした。


■ 参考作品
・『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』 エルフ (1996)


前の記事≪   | ホーム |   ≫次の記事

[ コメント ]

[ コメントの投稿 ]


 

 プロフィール

柾葉 進  (まさば すすむ)

 ブログ内容

哲学、歴史、文学、評論等。アニメやエロゲ(美少女ゲーム)を切り口にして論じたものが多数あります。

 ブログ案内

 全記事リスト

全ての記事の一覧

 ブログ内検索

 連絡先

pantheratora2369
☆zoho.com
(☆を@に変えて下さい)

 カテゴリ

 年別アーカイブ

 新刊情報

 
● 「『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の類似点に関する考察」
 
● 「美少女ゲーム作品に見るニーチェの思想」

 RSSリンク

 

FC2Ad



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。