エロゲ史概論

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(1)エロゲを生んだ3つのルーツ

現在のエロゲには多種多様なジャンルの作品が存在しますが、その歴史を辿っていくと実はその根底に“3つのルーツ”があるのではないか、というのが僕の考えです。

一つは、文字通りの「エロゲーム」。30年以上前にPCというものが一般に普及し始めたとき、それに伴って様々なゲームが作られましたが Hなゲームというのも当然ながら需要があったと思われます。ご褒美画像のあるクイズゲームや脱衣麻雀など比較的単純なものに始まり、やがては、よりエロい状況を追究した特殊なシナリオの作品も次第に作られるようになっていきました。

二つめは、「恋愛シミュレーションゲーム」。これは美少女との恋愛の過程、あるいは恋愛成就に至るまでをゲームのテーマに据え、選択肢を選ぶことで結末が変化していくものです。有名なものとしては『ときめきメモリアル』などが挙げられます。本来この恋愛シミュレーションゲームにはアダルト的な要素は必須ではなく、純粋に恋愛を追体験するという目的があります。(少し前でも『ラブプラス』など、全年齢向けの恋愛ゲームはそれなりに人気を博しました。)
ただ、言うまでもなく恋愛の延長上にはHな行為があるわけで、一つ目と二つ目が融合するのは誰もが予想できるところであり、実際に選択肢を選び、恋愛を描き、その結果としてHなシーンもある、というタイプが次第に数を増やしていきました。既にこの時点で、今のエロゲの原型は出来上がっていたと言えます。しかし、1990年代後半から、もう一つの流れがエロゲに加わります。

その三つめは、「サウンドノベル」。チュンソフトの『弟切草』、『かまいたちの夜』などの作品がその草分け的存在であり、読んで字のごとく音楽付きの小説というコンセプトです。


(2)サウンドノベルの第一次流入

今まで、挿絵のある小説というのはありました。しかし「音楽+文章」という組み合わせは、まとまった一つの媒体で表現することは不可能でした。ところがPCが普及することによって、それが可能になったのが「サウンドノベル」です。場面にあった音楽をBGMにして、文章を読む。PCの画面で小説を読むという斬新さもさることながら、加えて音楽を流すことで、臨場感を何倍にも引き出すことができるのではないか。

なにげに人類史上初とも言える試みだったと思いますが、それは果たして成功を収めました。そして当時エロゲ業界にいた、ある人物がそれに目を付けます。その人物とは、今でこそ誰もが知るエロゲブランド・Leafにおいて、当時シナリオライターとして起用されたばかりであった高橋龍也氏でした。

彼は、「弟切草のような作品をエロゲで作りたい」と思ったそうです。当然のごとく、チーム内では反対意見も多かったと言います。エロゲは当初から「絵」が重要な要素でした。可愛い美少女と恋愛する、あるいはその先にHなシーンがある。これが大前提なのです。つまり、「見る」という行為こそがゲームの中心でした。

対して、「サウンドノベル」はノベル、つまり小説であって、あくまで文章を「読む」という行為が主体なのです。そこに副次的なものとして「聞く」という要素が加わりますが、視覚的な情報、絵を「見る」という行為は、まさに二の次、三の次だったわけです。そういった点で、「エロゲ」と「サウンドノベル」はどちらもPC上の作品ではありますが、性質も目的も、そしてそれらを購買する客層もまったく違う。かぶるところがまったくない。それが当時の常識でした。

「でも、だからこそ、それらを組み合わせると新しいものができるんじゃないか?」 高橋氏はそう考えたのかもしれません。はたして1996年、彼を中心にして、Leafから『雫』というエロゲが発売されました。

 ・今までのように絵を「見る」だけでなく、文章を「読む」エロゲ
 ・あるいは今までのように「読む」だけでなく、絵を「見る」サウンドノベル

そういう意味で、“ビジュアルノベル”と銘打たれて売り出されたこの作品は、当時の口コミやパソコン通信(インターネットの前身)を通して一躍話題作となり、その反響を受けて『痕』、『To Heart』などの作品をLeafは次々に発表します。のちに「ビジュアルノベル3部作」と呼ばれるこれらの作品は、エロゲ業界におけるLeafの地位を不動のものとするに至りました。


(3)泣きゲーの勃興

そのLeaf作品に影響を受けて頭角を現したのが、Keyです。Leafのビジュアルノベル3部作はエロゲの新たな形として人気を得ましたが、その理由は、主に「見る」+「読む」という点の斬新さからでした。つまり、本来のサウンドノベルにはあったはずの「聴く」という要素は、エロゲにおいては依然として印象の弱い存在だったのです。

Keyの麻枝准氏は、そんな状態のエロゲ業界に、登場すべくして登場します。彼はシナリオだけでなく、作曲・作詞の経験と才能がありました。彼はTactics時代に『Moon.』と『ONE』を出した後、やがてKeyを設立して『Kanon』、『AIR』、『CLANNAD』という、これもまた3部作を発表します。それらの要は、やはりなんと言っても「音楽」でした。感動を誘うストーリーに、それを引き立てるような音楽をかぶせて、全体として涙を誘う「泣きゲー」と呼ばれるジャンルが、ここに確立されたのです。

これは、かつての『雫』を皮切りにサウンドノベルの流れを取り込み始めたエロゲが、その融合を完全に果たし、新しいものへと生まれ変わった瞬間でした。特に『Kanon』は、制作者側・購買者側を問わず、当時きわめて多くの人に影響を与えました。「エロゲでも深い物語性を追求するのはアリなんだ!」「むしろエロゲには、もはやエロは不要なのかもしれない!」という、まさにコペルニクス的転回を当時の人々は目の当たりにしたのです。3作目の『CLANNAD』ではついにエロ要素は完全に排除され、そしてそれが前2作を超えるヒットを記したという紛れもない事実を以て、「いまやエロゲの本質はエロのみにあらず」ということの証明となりました。

しかし、そうなると一つ問題が出てきます。エロゲは絵を「見る」だけでなく、物語を「読む」もの、という認識になったとき、「読み物」としての評価に耐えうる文章を書ける人が、業界内にどれほどいるか、という点です。エロゲ会社も、いわゆるゲーム会社です。当時「俺は文章を書きたい」「俺には文章の才能がある」→「だからゲーム会社に入りたい!」という思考が一般的だったかというと、決してそうではなかったと思います。

“これからのエロゲは「絵」だけではなく、「文章」も大切である。”

この認識の転換を、エロゲを購入する側の大衆はいち早く身につけてしまったけれども、肝心の制作会社は、そこまで瞬時に体制を切り替えられない。そういう状況が発生してしまったわけです。


(4)サウンドノベルの第二次流入

非常に面白いことに、このフラストレーションを解決するものとして、再び「サウンドノベル」が登場します。サウンドノベルは、『雫』においてエロゲに流入した一方で、エロゲではないサウンドノベルも、実は独自に発展を続けていました。つまり純粋に「読み物」としての作品です。

このサウンドノベルが何より優れている点は、圧倒的な「制作コストの安さ」です。PCさえあれば、素人でも作品が一つ作れる。音楽はフリー素材を使えばいいし、背景は撮った写真を加工すればいい。当初は最低限のプログラムの知識は必要でしたが、専用のフリーソフトの登場によって、PC知識がほぼゼロであってもサウンドノベルが制作可能という状況になりました。つまり文章さえ書ければ、自分の頭の中の物語が、それなりの形で作品化できるのです。

もちろん紙媒体の小説として自費出版することによってもそれは可能ですが、サウンドノベルは制作を始めてからCDを焼くところまで、全て自分のPC内でできるので、物理的にも経済的にも非常に取り組みやすいという点が一つ。くわえて小説は、「小説にする以上はある程度のレベルを」という意識が読む側にも書く側にも何となくあるのに対して、サウンドノベルは新しい表現形式なので、そういったしがらみがない。作る方も読む方も、言ってみれば全員が素人なわけで、心理的にも非常に敷居が低いわけです。その結果、何が起こったか。

多くのアマチュア(=同人)が、サウンドノベル制作に取り組んだのです。平素は普通の会社に勤めているが、趣味で物語を作りたいと思っていた人。物書きになるという夢があるけれども、「小説家はさすがに厳しい世界なので新しい領域で一山当てよう」などと思い立った人。様々な人材がこの世界に流れ込んできたのです。とりわけ大きいのが、「文章力には自信がある、あるいはシナリオの構成力は誰にも負けない。けれども大がかりな制作をする環境がない」と今まで足踏みしていた人に、ついに活躍の場が与えられたことです。

かくして、同人創作の世界に、二人の天才が出現します。まず最初に現れたのが 『月姫』(2000)の奈須きのこ氏。そしてその『月姫』に感化され、それとはまた違う方向で巧妙なシナリオを完成させたのが、『ひぐらしのなく頃に』(2002-2006)の竜騎士07氏です。

圧倒的な文章量、独特の情緒ある文体、そして群を抜く世界設定の緻密さ。これらを特徴とするサウンドノベル『月姫』は、当時LeafやKeyのエロゲの文章では満足できなかった人々の目にとまり、またたく間の大ヒットとなり、一世を風靡しました。プロの制作会社では小回りがきかない状況の中で、アマチュアの才能と自由さが、大衆の期待に見事に応えたのです。このサウンドノベル作品自体が、以後のエロゲに絶大な影響を与えるとともに、制作陣がこの後みずからゲームブランドTYPE-MOONを正式に設立し、結果としてLeaf、Keyと並び立つ存在としてTYPE-MOONが認識されていくことになります。

また『月姫』の影響を受けた作品でありながらも、自らが他作品に多大な影響を及ぼした同人サウンドノベルこそが、先ほども書いた『ひぐらしのなく頃に』です。初夏の田舎を舞台に、ほのぼのした日常から猟奇的な非日常への落差を描いたという意味では、いわゆる“ハートフルボッコ”作品の源流たる存在と言えますし、また後半明かされるループ展開や、物語の核心へと迫る怒濤の流れは奇跡的なシナリオ構成であり、アニメ化や漫画化もことごとく成功し、エロゲを含めて2次元業界に与えた影響は計り知れないものがあります。


(5)シナリオの爆発的多様化

これまでのことをまとめると、「エロゲ」は大きく捉えると2度、「サウンドノベル」からの流入を受けているのです。

 ①一度目は、Leafによる1996年のエロゲ作品『雫』が作られた際。
 ②二度目は、2000年の『月姫』のヒットと、その後のTYPE-MOON設立。

①は「読む」という概念自体の継承で、②は読む文章の「内容・レベル」の継承と言えるかもしれません。そして①については先述したように、Keyの3部作によって完全に定着した、と見ることができます。

では、②についてはどうか。2000年以降のシナリオ重視型エロゲを鑑みるに、これも非常に良いバランスで消化されつつあると言えるのではないでしょうか。小説や映画と比べても遜色ないレベルのシナリオや美しい文章の作品が現れ、エロゲシナリオライターに対する需要が以前よりずっと高いものになったようにも思います。

特にゼロ年代前半、つまり2000年から2005年の間を中心として、多数の名作が生まれることとなりました。地球における生命の進化においては、古生代カンブリア紀の、およそ5億4200万年前から5億3000万年前の間に突如として多様性が増大し、現存する生物のほとんどの種がその時点で出そろうという現象があったらしく、これは「カンブリア大爆発」と呼ばれます。エロゲにおいてもちょうどそういった現象が、ゼロ年代前半に起きたのではないかと僕は考えています。以下にその概要をまとめてみます。

まずシナリオ発展の下地を作った1999年の『Kanon』を踏まえて、Keyは『Air』(2000)、『CLANNAD』(2004)、『智代アフター』(2005)を発表し、泣きゲーというジャンルを完成させます。そしてこれと重なるように、Leafが1997年の『ToHeart』によっていわゆる学園モノの地位を盤石なものとし、『ToHeart2』(2005)によって一つの集大成となるわけですが、このいわば両端で区切られた期間に、他メーカーから多くの泣きゲー、そして学園モノが、様々なテーマと結びつけて世に出されます。

泣きゲーとしてKeyとは別系統で金字塔を打ち立てたのがD.O.の『家族計画』(2001)であり、また明らかにKey作品のスタイルを踏襲しつつもそれを見事にさらなる次元へ昇華してみせたStudio Mebiusの『SNOW』(2003)など、感動物語の形が模索されます。一方の学園モノについても、“単純に平和な恋愛で終わるのではなく、ヒロインが絡むシリアスな問題を解決したあとの大団円”というパターンが王道となり、この方向性においてAUGUSTの『月は東に日は西に』(2003)、『夜明け前より瑠璃色な』(2005)、Purple softwareの『夏色小町』(2003)、『秋色恋華』(2005)、F&Cの『Canvas』(2000)、『Canvas2』(2004)など、大手ブランドが次々と名乗りを上げます。またF&Cに関しては『こなたよりかなたまで』(2003)において“癌で余命を告知された主人公”を描き、ヒロインではなく主人公自身に重い問題を設定するという方向性を打ち出しました。また同ブランドによる『水月』(2002)は、夏の田舎を舞台にした伝奇物の代名詞的な扱いとなります。

“夏、田舎、伝奇”の名作としては、Circusの『水夏』(2001)、『最終試験くじら』(2004)も外せません。Circusはこの間に『ダ・カーポ』(2002)という学園モノを発売し、これを起点に今に至るまで連綿と続く壮大なシリーズを世に出していくことになります。またCircusからシナリオライターの呉氏を中心に一部スタッフが独立してつくったMOONSTONEが、夏、田舎、伝奇にミステリ要素を加えた『あした出逢った少女』(2003)を出し、その後『何処へ行くの、あの日』(2004)というシリアスファンタジーを経て、『Gift』(2005)にて学園モノ路線へと方向を定めます。また、ねこねこソフトも平安から現代まで悠久の時間軸をめぐる伝奇を描いた『銀色』(2000)にてヒットを期したあと、『みずいろ』(2001)、『ラムネ』(2004)といた学園モノを出していきます。学園モノエロゲとしては、感動だけではなく日常会話の面白さやギャグ要素を充実させる動きも出てきて、BasiLの『それは舞い散る桜のように』(2002)や、HOOKの『Orange Pocket』(2003)、『Like Life』(2004)、『_summer』(2005)が高い評価を受けます。前者のスタッフはNavelとして数々の学園モノを出していき、後者のHOOKも面白おかしくてかつ心温まる学園ラブコメの制作ブランドとして、非常に安定した地位を築いていきます。

学園モノが隆盛を極める中で、あえてその枠から外れるものも現れました。大正時代の神社を舞台として秋の情緒を絡めながら和風伝奇ファンタジーを体現したすたじおみりすの『月陽炎』(2001)や、ダムによる水没を間近に控えた夏の山村での切ない恋を描ききったLightの『僕と、僕らの夏』(2002)などが挙げられます。一方でLightは『群青の空を越えて』(2005)にて軍事経済的な視点も含めた近未来SF世界観を緻密に組み上げ、航空学校のパイロットという比較的特殊な設定の主人公の物語を見事な筆致で描ききりました。一方で学園モノの典型を生み出した張本人たるLeafが、現代日本の平凡な学園を舞台としながらもあえて憂鬱と虚無感をただよわせ、またヒロインの髪もカラフルではなく黒や茶で表現した非常に現実的な作品『天使のいない12月』(2003)を発売し、学園モノの型を破ろうとする試みを見せたという面もあります。またLeafはその前年に民俗学的な独特の世界観における戦乱を描いた『うたわれるもの』(2002)が大ヒットしており、典型に縛られない多様な創作の幅を示すとともに、文章を読むだけではなく戦闘システムを取り入れることでより多くのプレイヤーを惹きつけました。エロゲと戦闘システムとの組み合わせは、以前からアリスソフト等を中心に主にエロ重視のゲームにおいて多くの試みがなされていましたが、シナリオ重視のエロゲとの組み合わせや、独自の戦闘システムなどが発達したのもこの時期で、Xuseの『永遠のアセリア』(2003)、戯画の『BALDR FORCE』(2002)や『BALDR FORCE EXE』(2003)が名高い作品です。またアリスソフトは今までの路線をさらに発展させて『大悪司』(2001)『大番長』(2003)『RanceVI~ゼス崩壊~』(2004)など、ゲーム性を洗練させていきます。1990年代にアリスソフトと双璧を為したエルフも、かのサクラ大戦シリーズの脚本家を起用し、日露戦争をテーマにした『らいむいろ戦奇譚』(2002)を出すなどの試みを見せます。

また既存の作品類型にまったく縛られないような、さらに“尖った”傑作シナリオが多数出現するのが、ゼロ年代前半の何よりの特徴です。遺伝子工学によって強化された少女たちに接する一人の研究者の葛藤を描いたLittlewitchの『白詰草話』(2002)、全てが汚物のように見える世界で唯一出会った美しい少女との恋を描くニトロプラスの『沙耶の唄』(2003)、西洋の音楽学校を舞台として若者たちの切実な葛藤と残酷な真実を雨というテーマによって描ききった『シンフォニック=レイン』(2004)、歴史上の英雄を現代に召還して戦わせるという世界観の中で人の願望や正義の本質を究極的に描き出したTYPE-MOONの『Fate/stay night』(2004)、厳格な法治主義社会という巨大な車輪に押しつぶされながらも人間の尊厳を勝ち取ろうとする少年少女たちの戦いを描いたあかべぇそふとつうの『車輪の国、向日葵の少女』(2005)などが代表的です。『沙耶の唄』のシナリオライターである虚淵玄氏は、Leafの『雫』『痕』からエロゲの表現の幅を確信したと自身で語っており、『Phantom』(2000)や『鬼哭街』(2002)といった傑作を通してハードボイルドな作風をエロゲに持ち込み、好評を博しました。

くわえて、主人公が時間遡行によって同じ世界を何度も繰り返すという“ループ”の概念を取り入れた作品がいくつか出現します。ループものが人口に膾炙したきっかけの一つとしては先述した『ひぐらしのなく頃に』(2002-2006)が考えられますが、それ以前にもBerriesの『夏色の砂時計』(2002)や、通常のループとはやや毛色が異なるがKIDの『Ever17』(2002)といった名作があります。またループを最大限に生かしたシナリオによって、人類滅亡という壮大な世界観を描いた不朽の名作が、この時期に2作出てきます。一つは星空めてお氏が担当したLiar-softの『腐り姫』(2002)、もう一つは田中ロミオ氏が担当したFlyingShineの『CROSS†CHANNEL』(2003)です。星空めてお氏はその後同じLiar-softブランドにて『Forest』(2004)を、田中ロミオ氏はXuseブランドにて『最果てのイマ』(2005)をそれぞれ書き上げますが、どちらもループ要素は廃しており、その代わりに前者は文学的インテリ作品として、後者は哲学的インテリ作品として、それぞれ無二の存在感を有しています。ちなみに哲学要素を色濃く呈したものとしては元長柾木氏の作品が非常に個性的であり、otherwiseから『sense off』(2000)や『未来にキスを』(2001)を世に出しました。

恋愛物語としての多様性も広がりを見せます。それに大きく貢献した一人がシナリオライターの丸戸史明氏であり、繊細な心理描写によって人間関係の機微を鮮やかに描き出す、その筆致をもって戯画の『ショコラ』(2004)そして『パルフェ』(2005)を完成させます。また翌年には『この青空に約束を』(2006)を書き上げ、これら三部作は、エロゲにおける恋愛シナリオのレベルを一気に引き上げたものとして語り継がれます。一方で、恋愛シナリオのさらに別の相としては、ドロドロした面、つまり三角関係や嫉妬といったものを生々しく描きながらも、それによって紡がれる人間ドラマとしての感動を描いた作品もすでに存在しており、ageの『君が望む永遠』(2001)が傑作として名高いと言えます。これによって“女性選びに優柔不断な主人公”というパターンに焦点が当てられますが、それがさらに進み、もはや好きな女性をコロコロと変えて肉体関係を持ってしまうという最低の主人公が活躍するのが『School Days』(2005)であり、この作品によって、あるヒロインが別のヒロインに対する嫉妬のあまり病的な言動を繰り広げる“ヤンデレ”という一大ジャンルの概念が打ち立てられました。また、ヒロインがおかしくなるのではなく、逆に主人公が狂気に蝕まれていく様を印象的に描いた作品としては『さよならを教えて』(2001)が話題作となり、各方面に並々ならぬ影響を与えました。ちなみに2005年は上にも述べたヤンデレというジャンルが確立されただけでなく、女装男子を主人公とするキャラメルBOXの『処女はお姉さまに恋してる』が発売された年でもあり、これは男なのに女の子のように可愛い、いわゆる“男の娘”というジャンルの走りだったと言えるでしょう。ういんどみるの『はぴねす!』が発売されたのもこの年で、作中に登場する男の娘キャラクターが大反響を呼び、翌年のファンディスクにおいては攻略対象にまでなるという快挙を果たします。

以上が、2000年から2005年の間における主要なエロゲ作品史です。まさしくカンブリア大爆発並みの多様性の増加ではないでしょうか。そして2006年以降のエロゲ史を振り返ってみるとよくわかるのですが、その後の作品のほとんどは、この2000年から2005年の間の作品に原型を見ることができるのです。そしてこの期間のカンブリア大爆発の根底にあったのは、冒頭に述べた「(狭義の)エロゲーム」「恋愛シミュレーション」「サウンドノベル」という基本要素であり、エロゲはそれぞれの形式を融合的に内包した概念として、人々の意識に定着したといって良いでしょう。つまり、もはや「エロゲ」は一つの新たな物語形式として十分な文化的多様性を保有するに至ったということです。


(6)ジャンルの継承

2006年以降については、先ほども述べたようにゼロ年代前半に出現した様々なシナリオの多様性を受け継ぎ、それを洗練していく方向に作品史が進んでいきます。たとえばKeyの『リトルバスターズ!』(2007)は泣きゲーのスタイルを受け継ぎつつも、恋愛よりは友情という方向に重点をシフトしました。またHERMITの『世界でいちばんNG(だめ)な恋』(2007)の脚本は先述した丸戸史明氏、あかべぇそふとつうの『G線上の魔王』(2008)の脚本は『車輪の国、向日葵の少女』と同じるーすぼーい氏であり、そういった既に頭角を現していたライターが、ファンからの期待に応えるべく新作を書き上げるという姿が見られます。また大手ブランドAUGUSTも、前々作や前作の路線を受け継いで『FORTUNE ARTERIAL』(2008)を発売し、非常に高いレベルで安全運転を維持します。さらに2003年の『3days』で人気を得ていたLassが、『Fate』の影響を受けつつもその“厨二”的な雰囲気をよりキャッチーにして日常と絡み合わせた『11eyes』(2008)を発表し、Fateのような突き抜けたシナリオ性は無いものの、バランスの取れた良作として評価されます。

ただ「カンブリア大爆発」も2005年でぴったりと収まったわけではなく、ゼロ年代前半は試行錯誤を続けていたメーカーが、後半になって覚醒するかのごとく、今までにない大作を打ち出してきた例もいくつかあります。PULLTOPの『遥かに仰ぎ、麗しの』(2006)がその最たるもので、『夏少女』(2003)や『ゆのはな』(2005)も良作でそれなりの評価を受けていましたが、この決定的なヒットによってエロゲ業界における地位を確固たるものとしました。またageは2003年に既に出していた『マブラヴ』の続編として『マブラヴ オルタネイティヴ』(2006)を出しますが、前作よりさらに軍事色を濃くし、熱い戦いの物語として描くことで凄まじい傑作となりました。また『腐り姫』や『Forest』にて既に存在感を築き上げていたLiar-softも、シナリオライターに桜井光氏を迎え、『赫炎のインガノック』(2007)や『漆黒のシャルノス』(2008)などにおいてスチームパンクを描き、新たな反響を呼びます。

さらに“エロゲは物語表現の一つである”という理念を早くから持ち、『BITTERSWEET FOOLS』(2001)、『Wind -a breath of heart-』(2002)、『はるのあしおと』(2004)といった一味違う作品を出していたminoriですが、『ef』(2006-2008)がついに大ヒットとなり、品格あるシナリオを美しい絵と音楽で彩るというスタイルが多くの人に認められるところとなったのは意義深いと思われます。さらにはシナリオライターの瀬戸口廉也氏が2005年のLe.Chocolatの『SWAN SONG』を担当し、一部から絶賛されていましたが、OVERDRIVEの『キラ☆キラ』(2007)によって、人間の心の暗部を容赦なく描く驚異的な才覚を遺憾なく発揮しました。彼自身はその後は唐辺葉介と名を変えて小説家へと転向しますが、彼の作品がエロゲシナリオ業界にもたらした衝撃は大きかったと言えましょう。

ゼロ年代後半の一つの特徴として挙げるべきは、業界の御三家たるKey、Leaf、TYPE-MOONが精力的に新作を出さなかったことです。Keyは上述したように『リトルバスターズ!』で人気を博しましたが、Leafの『君が呼ぶ、メギドの丘で』(2008)はいまいち評価がふるわず、TYPE-MOONにいたってはFate関連作品のみで、2000年代は新作が出ませんでした。しかしその分、他の大手や中堅ブランドの動きが目立った時期でもありました。2006年にはねこねこソフトが活動を停止しましたが、一部メンバーがコットンソフトを再結成し、2007年の一年間に『ナツメグ』『レコンキスタ』『ナギサの』の三本もの作品を出しました。真新しいコンセプトはありませんが、丁寧な描写や伏線回収によって三作のいずれのシナリオも質が高く仕上がっており、元ねこねこスタッフとしての制作力の強さを見せつけました。なお2008年にはねこねこソフトが復活したため、人員の重複はあれど、以後はねこねことコットンの両輪体制となり、日常ものとシリアスものを適宜織り交ぜながら作品を出しています。また中堅ブランドとして印象的なのは2005年に学園伝奇モノの『あやかしびと』で高い評価を得たpropellerで、それ以降も『Bullet Butlers』(2007)、『きっと、澄みわたる朝色よりも、』(2009)、『エヴォリミット』(2010)、『すきま桜とうその都会』(2011)など、普通の日常モノでは終わらない、多種多様な作風を打ち出します。2003年に『姉、ちゃんとしようよ』、2005年に『つよきす』を出して有名になったきゃんでぃそふとから、シナリオライターのタカヒロ氏が独立し、みなとそふとにて『君が主で執事が俺で』(2007)、『真剣で私に恋しなさい!』(2009)を出して、その破天荒な世界観設定が大きな支持を受けるなどの動きもありました。

大手の一つであるあかべぇそふとつうが勢力を拡大し、その姉妹ブランドがたくさん乱立するのもこの時期の特徴です。その中で特筆すべきはあっぷりけで、『見上げた空におちていく』(2007)、『コンチェルトノート』(2008)、『黄昏のシンセミア』(2010)などを出し、何かが突き抜けて素晴らしいというよりは、シナリオと絵と音楽の全てをそこそこ高い水準で維持してみせました。またもう一つ注目すべきあかべぇ系列ブランドとしては暁WORKSで、『るいは智を呼ぶ』(2008)の主人公が女装男子であり、そういった系統の代表作品として一気に名声を高めますが、シナリオ自体もよく練られている上にサスペンス風味があって面白く、この後シナリオを担当した日野亘・衆堂ジョオの両氏によるコンビは、『コミュ』(2008)『‘&’』(2012)、『ハロー・レディ!』(2014)など独特の癖のある物語を展開していきます。ちなみに2012年のあかべぇ系列の統廃合によって消滅してしまったブランドの一つ、あっぷりけ-妹-も『フェイクアズール・アーコロジー』(2009)、『アルテミスブルー』(2011)など、航空関連の知識を背景とした個性的な青春物語をエロゲ史に残しました。

ぱれっとは2002年に立ち上がったブランドですが、『もしも明日が晴れならば』(2006)にて知名度を一気に高めます。シナリオは典型的な泣きゲーのパターンだと言えますが、絵と音楽の演出が非常に美しく、その意味で非常に完成度の高い作品でした。その後、軌道に乗ったぱれっとは『さくらシュトラッセ』(2008)、『ましろ色シンフォニー』(2009)、『晴れときどきお天気雨』(2011)など、美的魅力の高い日常モノを安定してリリースしていきます。また、これと似通った経歴をもつブランドがいくつか存在します。2002年に立ち上がったfengは『青空の見える丘』(2006)が人気を博し、以後は『あかね色に染まる坂』(2007)、『星空へ架かる橋』(2010)、『ちいさな彼女の小夜曲』(2013)など、良質な日常作品をリリースします。同じく2002年に『結い橋』でデビューしたういんどみるは、先述した2005年の『はぴねす!』によって知名度を高め、以後は『ツナガル★バングル』(2007)、『 Hyper→Highspeed→Genius』(2011)などを出します。また傍系ブランドのういんどみるOasisからも『祝福のカンパネラ』(2009)、『ウィッチズガーデン』(2012)といった名作が生まれます。これらのブランドより少し前の2001年に立ち上がったすたじお緑茶は、『片恋いの月』(2007)でシナリオ重視へと転向し、その後は『マジカライド』(2008)を経て、島の少年少女の青春をギャグとシリアスで綴った『恋色空模様』(2010)がヒットを期しました。

2005年以前の日常モノは「とにかく試しにこういう話を書いてみよう」という感じだったのに対し、2006年以降は「このパターンをもっときちんと描いてみよう」という姿勢が何となく現れます。また作るメーカーが増えていくことも相まって、日常モノというジャンルは全体的に充実感を帯びてきます。HOOKは先述したようにゼロ年代前半から存在するブランドですが、『HoneyComing』(2007)、『さくらビットマップ』(2010)、『SuGirly Wish』(2011)、『Strawberry Nauts』(2011)、『MeltyMoment』(2014)など多くの日常エロゲを出し続けています。またPurpleも同様の存在感を示し、『あると』(2006)、『明日の君と逢うために』(2007)、『メモリア』(2009)、『未来ノスタルジア』(2011)、『ハピメア』(2013)などを発表します。一方で2005年以降に立ち上げられたブランドとしては、『ぶらばん!』(2006)、『夏色カナタ』(2008)、『天神乱漫』(2009)、『天色*アイルノーツ』(2013)のゆずそふと、『Nursery Rhyme』(2005)、『いつか、届く、あの空に』(2007)、『タユタマ』(2008)、『花色ヘプタグラム』(2012)のLump of Sugar、『恋する乙女と守護の楯』(2007)、『Like a Butler』(2009)、『愛しい対象の護り方』(2011)のAXL、『かみぱに!』(2008)、『あまつみそらに!』(2010)、『カミカゼ☆エクスプローラー!』(2011)のClochetteなどがあります。またかつてのF&Cから一部の人間が独立したCUFFS系列では、『アメサラサ』(2007)、『Garden』(2008)のCUFFS、『ヨスガノソラ』(2008)のSphere、『夏の雨』(2009)、『your diary』(2011)のCUBEがあります。また前章では触れる機会がありませんでしたが、ALcotが2003年に『Clover Heart's』を出しており、主人公もヒロインもそれぞれ双子であるという変わった設定を、見事に生かしたシナリオを描きました。その後しばらく時間が空きましたが、『FairChild』(2007)、『幼なじみは大統領』(2009)、『鬼ごっこ!』(2011)、『中の人などいない!』(2012)といった新作を次々と発表しました。

2006年以降も、同人ゲームの存在感は以前ほどではないにせよ、ところどころで重要な定点をなします。ぶらんくのーとの『ひまわり』(2007)は宇宙や生命の知識を背景とした奥深いシナリオであり、世間的にも大人気を博した作品です。またFLATの『キラークイーン』(2006)も、その後PS2版や逆移植版『シークレットゲーム』が出て、サークルも同人から商業ブランド化するなど、話題性の高い作品でした。さらにトラウムブルグ7番地の『Bye』(2007)も同人ゲームの中で高い評価を受け、この後サークルは商業ブランドSORAHANEを立ち上げます。現状で発表作品としては『AQUA』(2011)『さくら、咲きました。』(2012)の2作ですが、いずれも独特の爽快感をもっっていてかつシナリオにも面白味があり、今後が期待できるブランドだと言えそうです。


(7)物語形式としての完成

さてゼロ年代後半に話を戻すと、日常エロゲが丁寧に描かれて良作が充実していく中で、逆にものすごい傑作というのは影を潜めていたように思います。ある意味で充電期間のような静けさがありますが、この電気量が満タンとなったかのごとく、堂々たる傑作が動きを見せ始めるのは2009年以降です。

2009年を代表する名作としてまず挙げるべきは、戯画の『BALDR SKY』でしょう。BALDRシリーズ伝統の戦闘システムも洗練され、その熱中できるゲーム性もさることながら、シナリオ単体で見ても世界設定の緻密さと展開の熱さを他に例を見ないほどのレベルで両立した作品でした。一方で、ニトロプラスがブランド創立10周年記念として発表した『装甲悪鬼村正』も、シナリオライター奈良原一鉄氏による珠玉の作品として非常に高い評価を受けます。また、これらに加えて2009年に注目されたのは、Navelの『俺たちに翼はない』です。2002年にBasiLの『それは舞い散る桜のように』を書き上げて人気を博した王雀孫氏が、2003年に企画書を提出して以来しばらく停滞させていた今作ですが、この年に満を持して発売され、都会を舞台に個性溢れる若者たちの群像劇を、さすがとも言える魅力的な筆致で描き上げました。さらには2007年に出ていたLightの『Dies irae』が、シナリオの大幅な補完を施した完全版として2009年に発売され、Fateとはまた別系統の“厨二”の傑作として完成を迎えます。これらに加えてFAVORITE(正確にはこの段階ではまだCROSSNET傘下ですが)の『星空のメモリア』、SAGA PLANETSの『ナツユメナギサ』もヒットし、それぞれのブランドが知名度を高める大きなきっかけとなります。

2010年代初頭におけるコンテンツとしては5pb.の『STEINS;GATE』が巨大な存在感を示しましたが、この作品は2009年にすでにXbox360にて発売され、早くから話題を読んでいました。2010年にPC移植されてさらに多くの人の知るところとなり、20011年にアニメ化したことで業界全体にまたがるブームが生じます。並行世界の設定や同じ時間をくりかえすシナリオ構造は『CROSS†CHANNEL』や『ひぐらしのなく頃に』を連想させますが、いわばこういった“ループもの”の集大成として位置づけられるべき作品であるとともに、物理理論的なモチーフを多分に絡ませたという点では、エルフの『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996)を彷彿とさせるものがあります。

この『YU-NO』についてはきちんと触れておく必要があるでしょう。時代がかなり遡りますが、この作品が出た1996年というのはちょうどLeafが『雫』を出した年であり、つまりは上述したサウンドノベルの流入の第一回目と同時期ということになります。これほどの初期の段階から、科学、哲学、文化といった諸要素を内包した壮大な物語をエロゲとして作り上げたのが『YU-NO』という作品であり、この事実は企画・脚本を担当した菅野ひろゆき氏の驚異的な慧眼と才覚を思わせるものです。しかもそのシナリオがゲームシステムと有機的に結びついたものであるということも踏まえて、いまだにこれを超える作品が無いのだと遠い目で語る者も少なくない、伝説的存在でもあります。したがって、この『YU-NO』という作品はエロゲ史においてある種の特異点をなしており、もちろんその後のエロゲに多大なる影響を及ぼしたとは推測されるものの、直接的にこれと結びつくようなシナリオは長い間見られませんでした。しかし、実に十数年の時を経て、とうとうその後継者たる風格をもった作品が現れました。それが『STEINS;GATE』ではないかと思います。もちろん『YU-NO』のように人類や宇宙の歴史に想いを馳せるような壮大なテーマは『STEINS;GATE』にはありませんが、虚構ながらも説得力のある科学的背景を設定することで時空間の移動を可能とし、主人公がいくつもの並行世界を渡り歩きながら徐々に真実へとたどり着いていくという構図はまさしく共通しており、『STEINS;GATE』はそこにゼロ年代の間に大きく培われた日常モノの多様性をブレンドすることで、新たな境地を作り上げたと捉えることができます。その意味で『STEINS;GATE』は、まさに伝説と現在の架け橋のような存在としても非常に価値の高い作品だったのではないかと思います。

しかし2010年のエロゲ業界には、もう一つの巨星が降臨します。そしてこちらもまた十年以上前のとある個性的な作品が、すさまじい完成度を伴って新しく生まれ変わったという代物でした。ケロQの『素晴らしき日々~不連続存在~』(2010)です。このシナリオを担当したSCA-自氏は、1999年に『終の空』をケロQから出し、ウィトゲンシュタイン哲学を題材にした作品として話題になりましたが、『素晴らしき日々~不連続存在~』ではそれをさらに普遍化し、絵や音楽と言った演出も作風に合うように洗練され、さらに感動要素や日常要素もうまく絡めることで、哲学というニッチな切り口を持ちながらも、ライター自身の思想および死生観を一つの物語という形に見事に還元してみせました。そして哲学つながりで論じるならば、奇しくもSCA-自氏と同じ年に『嬌烙の館』(1999)でデビューした元長柾木氏が、先述した『sense off』(2000)や『未来にキスを』(2001)を経て、2010年代にはウィトゲンシュタインの言語学的側面を象徴した物語としてWHITOSOFTの『猫撫ディストーション』(2011)を書き上げます。また2013年には同じくWHITESOFTの『ギャングスタ・リパブリカ』を担当するなど、独自の哲学路線を築き続けています。一方のSCA-自氏は、ウィトゲンシュタインが直接的に関わるのは既に上げた2作のみで、ケロQブランドとしては『二重影』(2000)『モエかん』(2003)などの一風変わったバトルものを出しています。また枕ブランドとしてはシナリオにはメインで関わらない場合が多いですが、枕の『H2O』(2006)は奇病や村の差別といった不幸を乗り越えていこうとする少年少女の切実な生き様を描いた作品として高い評価を受けます。枕はそれ以外にも、『しゅぷれ~むキャンディ』(2008)などの萌え系日常作品や、『向日葵の教会と長い夏休み』(2013)のように夏の情緒を美しく描いた作品も出しています。

2011年には、とうとう御三家のうちニ家が新作を完成させます。Leafの『WHITE ALBUM2』、そしてKeyの『Rewrite』です。『WHITE ALBUM2』については前編が2010年に発売して反響を呼びますが、2011年に後編が出て完成し、三角関係を描いたものとしては『君が望む永遠』以来の、そして繊細な人間心理を描いたものとしては『パルフェ』以来の、恋愛物語における金字塔としての評価を固めます。脚本を担当したのは『パルフェ』の丸戸史明氏であり、エロゲのルーツに含まれていた恋愛という要素は、この作品において一つの堂々たる結実を見たと言えるのではないかと思います。一方の『Rewrite』は、『CROSS†CHANNEL』の田中ロミオ氏を中心として、『ひぐらしのなく頃に』の竜騎士07氏、『リトルバスターズ!』の都乃河勇人氏をライターに迎え入れるという制作陣の豪華さが話題となりましたが、環境問題を基調に据えながらも最後は人類の生の絶対的な肯定につなげるという壮大なテーマを、日常要素と絡めつつ見事に描ききりました。注目すべきは、これらの超大手ブランドが両者ともにシナリオライターの人選にこだわったという事実であり、これはエロゲにおけるシナリオ需要の高まりを象徴した出来事のように思われます。

その他にも2011年には大きな動きがあり、まずは平和な日常作品路線を安全運転していたAUGUSTが、今までとは打って変わったシリアス作品を手がけます。それが『穢翼のユースティア』ですが、この試みは見事に功を奏して傑作となり、AUGUSTブランドの守備範囲の広さを証明しました。また『ゆきうた』(2003)『そらうた』(2004)『ほしうた』(2008)および『魔界天使ジブリール』シリーズなどで知名度を得ていたFrontwingが、設立10周年を記念して『グリザイアの果実』をリリースし、シリアス系学園モノとして高評価を獲得します。その後の『グリザイアの迷宮』(2012)、『グリザイアの楽園』(2013)によって完結を迎え、2010年代初頭を代表する一つの傑作として記憶される作品だと言えるでしょう。もう一つ触れておくべきは、2009年の『星空のメモリア』でヒットを期したFAVORITEが出した新作『いろとりどりのセカイ』です。この時点でもすでに良作という評価を受けていたのですが、翌年に続編である『いろとりどりのヒカリ』(2012)を出して完結させ、その感動要素の高さから2010年代随一の泣きゲーとしてに地位を固めることになりました。

さて2012年には、上述した『グリザイアの迷宮』や『いろとりどりのヒカリ』に加えて、御三家の残りの一家TYPE-MOONがついに新作『魔法使いの夜』をリリースします。過去作品の『月姫』や『Fate』ほどの存在感には至らなかったものの、PC上のビジュアルノベルであるということにこだわった演出が光る作品であり、話の内容も奈須きのこ氏の世界観がよく表現されたシナリオとなっています。これにくわえて特筆すべき作品としてはPULLTOPの『この大空に、翼を広げて』であり、夏の空を基調とした爽やかな青春物語を巧みな演出で描きました。

この2作に共通する特徴として“演出”という言葉が出てきますが、それはこの時期から現在2014年に至るまでのエロゲにおける一つのキーワードとなってように感じられます。すなわちシナリオおよび絵といった要素については成熟期を迎え、またPCの性能が向上していることも相まって、他作品との差別化を図るために演出という要素が相対的に重要味を帯びてきているということではないかと思います。「エロゲでこういう物語も表現できる/味わえる」という意識から、「エロゲでなければ表現できない/味わえない物語とはどういうものか」という意識へと、制作側もプレイヤー側もシフトしつつあると言えるかもしれません。

ただ、シナリオそのものの発展もなくなったわけではなく、ゼロ年代において多様化されたジャンルをもとに、さらに新しい地平へと切り込んでいくような面白いシナリオが、2012年にも現れます。一つはSAGA PLANETSの『はつゆきさくら』です。2009年に話題となった『ナツユメナギサ』のシナリオライター、新島夕氏の魅力的な筆致が、冬という季節感を存分に生かした非日常系学園コメディにおいても炸裂します。またコットンソフトが『終わる世界とバースデイ』にて、陳腐になりがちな終末論的世界観を新しい解釈で料理してみせ、目の肥えた人をもうならせる感動作品となりました。Circusが2006年以来の『ダ・カーポ2』のシリーズから離れて『ダ・カーポ3』を発売したのもこの年で、シリーズの根幹の世界観は一定に保ちながらも、それをまた新しい切り口で描き出す姿勢を示しました。またNavelから『月に寄りそう乙女の作法』が出され、女装男子かつお嬢様学園という典型パターンに沿いながらも、そこにさらに主人公がヒロインの従者(この作品の場合はメイド)であるというパターンを重ね、キャラクターの掘り下げとリズム感のあるテキストによって物語を豊かに紡ぎ上げたこの作品は、プレイヤーたちからの圧倒的な支持を受けました。

2013年には、先述した『グリザイアの楽園』に加えて、Navelから前年に反響を呼んだ『月に寄りそう乙女の作法』の続編である『乙女理論とその周辺』がリリースされ、こちらも前作に引けを取らないほどの大人気を博し、業界全体に対して大きな存在感を示しました。コットンソフトは、2012年に引き続きこの年も『双子座のパラドクス』という意欲作を発売し、双子の主人公のうち片方が学園ごと異世界に飛ばされるという斬新な設定から、パラドクス=矛盾というモチーフを軸にSF調の群像劇を巧妙に描きました。またこれらの作品とはやや毛色が違ったものとしては、ニトロプラスがリリースした『君と彼女と彼女の恋。』が上げられます。これはヤンデレという概念をさらに掘り下げる物語であり、選択肢・システム・演出を話の内容とメタ的につなげることで、恋愛ゲームとしてのエロゲに対する強烈なアンチテーゼを打ち出しました。この作品スタイル自体が新たなシナリオ多様化を生む可能性は低いと思いますが、これもまさしく「エロゲでなければ表現できない/味わえない物語」の一種と言えるものであり、作品としての意義は大きかったのではないかと思います。

2013年は日常モノの充実がさらに進んだ年でもあり、先述したPurple softwareの『ハピメア』や枕の『向日葵の教会と長い夏休み』、ゆずそふとの『天色*アイルノーツ』、fengの『小さな彼女の小夜曲』、またこれらに加えてLapis lazuliの『十六夜のフォルトゥーナ』など、様々な背景の中での日常が描かれます。また大手ブランドのAUGUSTが、2011年に『穢翼のユースティア』を出して以来の新作『大図書館の羊飼い』を発表し、こちらも大きな話題作となります。『穢翼のユースティア』ではシリアスを見事に描ききったAUGUSTですが、今作では平穏な日常学園モノを基調とする以前の路線に戻り、従来のファンの需要に応える姿勢も見せました。さらに『キラ☆キラ』(2007)や『DEARDROPS』(2010)などのヒット作を出していたOVERDRIVEが、やはり音楽を主題にすえた『僕が天使になった理由』をこの年発売し、比較的現実的な様々な恋愛の形を題材にしつつ、ゼロ年代の『ef』を思い出させるきめ細かい演出の中で、鮮やかな青春群像劇を描き上げました。地球上の生命がカンブリア大爆発の後も細かい種の中で進化を繰り返し、現在もなおその途上であるのとまったく同じように、エロゲもまたゼロ年代の大爆発が過去のものとなった今もなお、新しいシナリオが生まれ続けていると言えるでしょう。


(8)総合芸術への展望

以上、我が国において独自に発展してきたエロゲ史の流れについて大まかに見てきました。元々が「エロゲーム」であったことが信じられないほどの進歩だと言えるのではないでしょうか。エロゲームからエロ要素が薄くなれば、それはただの「ゲーム」ではないかと誰もが思うところです。しかし、そうはならずにあくまで「エロゲ」という別個のものとして道を切り拓いていったのが、エロゲ史のもっとも興味深い点ではないかと僕は感じています。

エロゲがエロ目的のゲームでしかなかった頃は、あくまでゲームの一つの派生に過ぎませんでした。ですが、やがてその進化が文章という形式にたどり着いたとき、大きな化学変化を起こしました。文章・絵・音楽、この3つの要素を全て兼ね備えた、今までにない物語形式が可能になったのではないか……? 本流だったゲームよりも、傍流だったエロゲームのほうがこの可能性に着目したのです。

もちろん一般ゲーム業界にもその観点はありました。『かまいたちの夜』『弟切草』などのサウンドノベルがその象徴でしょう。しかし本家のゲームのほうは、コンピュータあるいはゲームハードの性能の上昇に伴って、それをフルに生かした作品制作を模索する方向に進んでいきました。すなわちゲームならではの操作性の追求、およびグラフィックの質の向上といった点に重きが置かれるようになり、逆に言うと低スペック機器でも表現可能な「文章」という要素は、どうしても相対的に価値が薄まっていくことになるのです。

しかし、それを拾い上げたのがエロゲ業界でした。Leafの高橋龍也氏が『弟切草』に影響を受けて1996年に『雫』『痕』を世に出し、高い評価を得たのは冒頭でも述べたとおりです。そしてこれに続く1997年の『ToHeart』の大ヒットによって、Leafはエロゲ界の中心的存在へと躍り出ました。このときから「文章」という要素は、ゲームよりもエロゲとともに歩んでいくことが決まったのです。

そうして文章の内容が次第に複雑化していくことで多様な物語を生み、やがて重心がエロからシナリオに移ることで、エロゲは小説、漫画、アニメ、ゲームの後に名前を連ねるような、独自の物語形式として文化の流れが確立されていきます。そしてその過程は、前章までの内容で述べたとおりです。官能小説は小説の一部ですし、エロ漫画とエロアニメも、それぞれ漫画とアニメの枠内に含まれるものでしょう。しかしエロゲは、エロからの脱却を見せた時点でゲームと肩を並べる存在となり、またゲームの一部であると捉えるにはあまりに個性的すぎる進化を遂げた作品群なのです。その個性を決定づけたものが文章であるのは言うまでもありません。

エロゲは「絵」という要素を持ちながらも、ストーリーの細部を体現するのは「文章」であるという特性を持つ、つまり人間の最も根本的な伝達手段である“言葉”を最大限に活用できるわけです。またそこにさらに加わるものが「音楽」であり、この音楽もまた人の心を直接的に感動させる力を持つ芸術なのです。小説や漫画には文章や絵という要素がありますが、そこには音楽がありません。アニメやゲームは絵と音楽が備わっており、さらに音声等による言語要素ももちろんありますが、それはあくまで補助的なものにとどまり、文章によって綴られる物語とは一線を画してしまいます。すなわち「文章」「絵」「音楽」の全てをあますところなく生かした作品形式というのは、人類史上、この現代日本のエロゲ文化の中で初めて実現したと言うことができるのです。

かつてリヒャルト・ワーグナーは、西洋文化の一つであるオペラが演劇と音楽が融合した作品形式であることを称えて、これを「総合芸術」(Gesamtkunstwerk)と呼びました。この言葉は今ではもう少し広い意味合いを持ち、ミュージカルや歌舞伎、さらに映画やアニメなどを含めることもあるようです。僕は、現代日本におけるエロゲもまた総合芸術の一つたる素質を多分に有しているのではないかと思います。しかも文章、絵、音楽の組み合わせは他の総合芸術の中にも類例がなく、形だけで言えばすでに十分に画期的な存在ではあるはずなのです。

ところが、その出自が「エロゲーム」であるが故に、多くの人から誤解されがちであることは、このエロゲという作品群の悲劇であると言えます。

アニメや漫画に対してさえ「子どもが読むもの」「幼稚な物語」というイメージが依然として残っていたり、それどころか「犯罪に結びつく」などといったマスメディアによる印象操作も昔から行われています。いわんやエロゲをや、です。新しい物語形式に対しては、いつの時代でも世間の理解は得られないものです。たとえば現代では普通に読まれている小説も、古い時代においては「女、子どもが読むもの」として非難されていたと言いますが、そんな中でもその物語形式の魅力を見抜いた先人たちは、その作品を書き続けたのです。今では誰が、文学小説を読んでいる人を「幼稚だ」と馬鹿にするでしょうか。

ここで考えてみると面白いのは、小説という言葉の語源です。これはもともとは国の君主たる人間が国家や政治に対する志を書いた「大説」に対して、民間の言い伝えや説話などを小人の説という意味で「小説」と呼んだものであり、社会的価値の乏しいもの、取るに足らないものという蔑視の意味も込められていたそうです。しかしその小説もいつしか市民権を経ていまや文学の代名詞となり、ともすれば芸術としての格調高さすら求められる重要な文化の一端にまでなっているわけです。

ならばエロゲにも同じ現象が起きないだろうか、と僕は思います。エロゲという作品形式が、現代人の情緒を表現する新たな場としてより多くの人に認められるようになれば、何十年かののちエロゲという言葉はエロいゲームではなくエロゲという一つの名詞として定着するのではないか。 その頃にはもう、小説の“小”が意識されないのと同様にエロゲの“エロ”の意味が薄れ、人々は「エロゲはもともと『エロいゲーム』だったんだよ」と聞いて「へぇ、そうだったのか」と驚き、ちょっとした豆知識を得た気分になる。そういう未来がひょっとしたら来るのではないかと、僕はひそかに期待しています。

百年後にエロゲが現在の小説のような地位になれているか、などとそこまで大げさな夢を抱いているわけではありません。しかし21世紀初頭の日本において、エロゲという新しい形式の中で、シナリオが驚くべき発展を遂げ、哲学や文学さえ含んだ幅広い物語作品群が次々と生み出されたということは紛れもない真実です。そしてちょうどその時代と場所に居合わせた大衆の一人として、僕は新しい文化の芽を低俗だと蔑む側ではなく、その軌跡を語り継ぎ、その可能性を応援する側の人間でありたいと思っています。エロゲは、たしかに高尚なものではありません。しかし人間の文化にとって何より大事なのは、高尚さではなく多様性だと思うのです。多様な発展があれば、高尚さの感覚も人々の中で時間とともに磨かれていくはずです。

国産エロゲの誕生からおよそ30年、その道のりの中で、既にこれほど豊かな多様性を獲得したという事実をここに記しておくとともに、今後もエロゲ作品について様々な試行錯誤が行われ、そして現代人の心の糧となってくれるような味わい深い物語がたくさん生み出されることを願ってやみません。





■ あとがき

エロゲに限らず何かの歴史を語るときは必ず語り手の解釈というものが入ってしまうので、今回の文章もある程度は主観的であることを免れません。ただ(当然のことながら)自分の好き嫌い等は排して、考えうるかぎりの様々な視点から解釈の光を当て、比較的公正なエロゲ史を記述するように努めたつもりです。ただし、今回はあくまでシナリオの発展を中心とするエロゲ史だったので、絵や彩色の進歩、あるいは音楽といった側面についてはほぼ触れることができませんでした。また何より、シナリオ重視ではない、いわゆる“エロ重視のエロゲ”についてもノータッチで話を進めました。エロ重視にもエロ重視独特の多様な発展があって奥が深いのですが、やはりシナリオ重視と混ぜて語るとわかりにくくなってしまうので、今回はあえて取り上げなかったという次第です。僕は「エロゲ」を「漫画」や「アニメ」と並べて捉えているので、エロ重視の漫画が「エロ漫画」、エロ重視のアニメが「エロアニメ」ならば、エロ重視のエロゲを「エロエロゲ」と便宜上よく呼んでいるのですが、エロエロゲもまたエロゲの多様性を構成する重要な作品群だと思っているので、ないがしろにするつもりは全くありません。ただ、文学史の話をするときに官能小説の歴史を絡めたら話がややこしくなるのと同じように、エロゲ史の話をするときもエロエロゲはまた別枠で捉えておいたほうがいいと判断した次第です。

また本文では『雫』が発売された1996年以前のエロゲ史についてはほとんど具体的に触れることができていません。その頃はエロゲとエロエロゲの区別もまだ曖昧であり、今回のようなシナリオを中心とする姿勢では切り込みにくかったというのが理由になりますが、この時代ももちろんエロゲは進化を続けていました。特に1990年代は「東のエルフ、西のアリスソフト」という言葉に象徴されるように、エルフとアリスソフトという2大ブランドを中心に競争が繰り広げられ、その過程でエロゲ/エロエロゲを問わず、様々なタイプの作品が開発されました。本文でも触れた『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』もこの競走による産物であり、ある意味でゼロ年代のカンブリア大爆発が「シナリオの多様化」だとすれば、1990年代の開発競争は「エロゲそのものの多様化」という次元のものだったと捉えることができるのではないかと思います。またそれ以前の1980年代、つまりエロゲの創生期にも、やはり数多の試行錯誤があったのではないかと推測されます。

ちなみにそういった創生期からのエロゲ史をきちんと説明してくれる本としては、昨年発売された宮本直毅氏の「エロゲー文化研究概論」があります。これは僕も素晴らしい名著だと思っていて、特に2000年以前についてはエロゲの歩みを実にわかりやすく解説してくれています。しかしながら、この本では2000年以降のエロゲとエロエロゲの乖離が進んでからの時期に関してもそれらを包括的に論じているために、全体像を何となくつかむには良いのですが、エロゲにおいて肝心となるシナリオの多様化についてほとんど掘り下げることができていないという印象がありました。やはり『雫』以降に関してはエロエロゲからひとまず離れて、エロゲのシナリオが泣き要素や感動要素を経ながらどのように進歩していったかを詳しく辿ることがエロゲ史の深い理解につながると考え、今回の文章を書かせていただきました。もちろん批判的な意味合いはなく、顕微鏡にたとえるならレンズの倍率を少し上げて細部を観察してみたというような立ち位置です。もし興味がある方は、宮本直毅氏の著書のほうも合わせて読んでいただければ、僕の文章では倍率を上げたがゆえに見切れてしまっている部分についても知ることができ、エロゲというコンテンツ全体への理解がより深まると思います。

最後に「エロゲ」という名称についてですが、これはやはり「エロ」という語がそのまま入っているので印象としてはよろしくないと僕自身も思います。ですがこれに代わるような呼びやすい名称が現れないというのが実情です。非18禁も含めて「ギャルゲ」という名称もありますが、これも結局エロよりはマシという程度で作品群の本質を突いた名前ではありません。時々聞くのが「ビジュアルノベル」「ノベルゲーム」ですが、これだと長いので「ビノベ」「ノベゲー」と略せばそれなりにスマートではあります。が、やはりいまいちパッとしない印象が拭えず、結局どれも「エロゲ」の語呂の良さには及ばないように感じます。本文でも書きましたが、エロゲのままでも時間が経てばエロの印象は消えてくれるのではないかと楽天的なことを考えたりしている次第です。ちなみに本文では非18禁も含めて「エロゲ」と呼称しています。これは普段の僕の文章におけるスタイルと同じですが、なぜこのように呼ぶかの理由は本文の(8)の章で述べたことが答えになっているかなと思います。僕が使う「エロゲ」という語は「ビジュアルノベル」「ノベルゲーム」とほぼ同義のものと認識していただければ幸いです。


■ 参考文献

作品史の流れについては基本的に僕自身による解釈ですが、作品の発売年や細かい物語内容あるいは世間的な評価といった情報に関しては、各ブランドや各作品の公式ページ、エロゲー批評空間、およびWikipediaの当該記事等を適宜参考にさせて頂きました。(エロゲー批評空間:http://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/


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