語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-08

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[2014-12-11]  つくられたクローバー  

隠れた名作エロゲとしてよく名前が挙がるのが(それはもはや隠れてはいない気はするのだが)、2002年にLittlewitchから発売された『白詰草話 -Episode of the Clovers-』であろう。OPテーマ曲であるresetの「escape」は有名であり、それをきっかけにこのタイトルを知ったという人も多いのではないだろうか。また使用されているBGMも綺麗なものが多く、スタート画面で流れる「透明な感覚」を聞きながらしばらくぼーっとしたという経験は僕だけではないはずだ。

そしてこの作品はシナリオにおいても光るものがあり、その魅力を一言であらわすと、「人間や生命について考えさせられる場面がいくつも散りばめられている」という点。これに尽きるだろう。

しかし目の肥えた人にとっては、こう批判することもできる作品である。すなわち「一見哲学的で答えのない問いかけを無意味に並べてみせているだけで、そこには一貫した思想も明確な結論も提示されず、ただ深遠な雰囲気を取り繕っているだけの薄っぺらい作品だ」と。もし僕が「この作品をけなしてくれ」と頼まれたら上みたいなことを言うのだろうが、無論これは詭弁でしかない。

一貫した思想を求めるなら、哲学書を読めばいい。明確な結論がほしいなら、どこかの宗教の教典を紐解けばいい。この『白詰草話』は、そういった類のものではなく、本質的な問いをちらつかせながら、しかしあえて深いところまでは立ち入らない、良い意味での「軽さ」――あるいは「さわやかさ」と言いかえてもいいかもしれない――があると思う。それを「薄っぺらい」と非難するのも一つの見方ではあるが、答え云々ではなくて、考えることそれ自体が日々の生活を深めてくれることというのはあると思う。物語というのは、そのための視点を与えてくれものではないだろうか。

人間というものの矛盾について考えさせられる「視点」を随所に散りばめながら、登場人物たちの織り成す温かい日常、そして切迫した非日常を、ウィットに富んだ会話と、透き通るような音楽、そして繊細な絵とともに美しく描ききった、素晴らしい作品だったと思う。

「あのときの僕は……なにか打ち込めるものが必要だった。」

「研究は簡単だった。
 5枚のクローバーはすぐに出来た。
 命のプログラムを自由に操れるという、まるで神様になったような気分だった。
 僕はさらに遺伝子をプログラムし続けた。
 自然界では1906年に16枚葉が見つかっているから、まずはそれを目指していたんだ。
 そのうち16枚葉もクリア……
 8ヶ月後には33枚の葉をつけるクローバーを作り上げた。」

「もはや他の植物といっていい状態だったよ。
 まちまちの大きさの葉がごっそりついて自立も出来ない。
 そこでこの研究は終了した。
 成果となった株のほとんどは廃棄したんだが、一株だけこっそり持って帰ってね。
 それからしばらく育ててみたんだ。
 どんな花が咲くのか見てみたくなったんだな。」

「少し育ててみて、いろんな事を思うようになった。
 ずっと遺伝子をいじってるだけで、育てるって事をあまりやったことがないからね。」

「弱い植物でね。ちょっとしたことですぐに枯れそうになる。
 それでも毎日霧をかけてやって、日向に鉢をおいてやって……
 そんな事もまた、素晴らしい仕事だと思うようになった。
 そしてある日、花が咲いた。
 33枚の葉を持つクローバーの花はどんなだと思う?」  

「僕はそれを見て、そう……とても……罪悪感にかられた。
 僕がやってきた……そういうことってのは一体何だったんだろうってね。
 その花は色素を持たない透明な花だった。
 生殖能力もない……退化しためしべだけが付いた花だ。」

「ごめんな……」

「僕はまた同じ過ちを繰り返している……」

「僕は命をもてあそんでいるだけなのかもしれない。」


以上は作品のタイトル「白詰草話」のもとにもなっている象徴的なエピソードである。

僕は最初、この作品にこれといったメッセージ性は無いように感じていたが、このエピソードに触れたとき、物語の最初から最後まで、あるテーマが根底に存在していることに気付かされた。それは「自然」と「人工」との対比に他ならない。

その対比は、やがて物語の中盤を経て「いつもそこにあるもの」に幸せを感じる者と、「さらなる高み」を目指そうとする者の対比構図へと移行していく。当然ながら、そのどちらが正しいと一概に言えるものではない。現状で満足してしまう人間に成長はない。けれど、ただひたすら上を目指す人は、往々にして何か大切なものを見失ってしまう。幸せの象徴であるはずのクローバーを、人工的に作りあげて喪失感にさいなまれてしまったかつての主人公のように。

作中の会話では、観念論vs唯物論の議論も非常に簡潔ながら組み込まれている。「自然」と「人工」との対比は、ここにも投影されているように感じられて個人的にはなかなか新鮮だった。

人間にとっての幸せは誰もが簡単に想像できるようでいて、でも本当はクローバーよりもずっと見つけにくいものなのかもしれない。含蓄に富んだ作品である。


■ 参考作品
・『白詰草話 -Episode of the Clovers-』 Littlewitch (2002)


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