語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-05

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»

[--------]  スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


[2013-12-26]  男らしさと女らしさ  

僕が好きな漫画家としては西森博之氏の名前が挙げられる。一字違いなので2ch開設者の西村博之(ひろゆき)氏と混同されるかもしれないが、当然のごとく別人である。(実際、僕自身もどっちが森でどっちが村だったか迷うことがたまにある。)

デビュー以来、週刊少年サンデーで数々の連載作品を手がけてきた漫画家であるが、代表作である『今日から俺は!!』がいわゆる不良マンガの金字塔とも呼ばれ、おそらく彼の作品の中で最も有名なのではないかと思われる。

だが個人的には西森博之作品の中では『天使な小生意気』こそが最高峰だと思っている。これもアニメ化されていたのである程度は知名度が高いかもしれない。(僕自身もアニメをきっかけに知った口である。)これには本当に夢中になったし、同時に原作も買いそろえていって読み込んだものだ。連載終了から10年が経った今では本屋でもう見かけなくなってしまったが、自分の部屋の本棚にはちゃんと並べて置いてあり、ふと思いつくたびに手にとってページをパラパラと眺め、そうこうしてるうちに結局続きも全部読んでしまうという、僕にとってはそういう漫画作品だ。

『天使な小生意気』のあらすじは以下のようなものだ。

ある日、ひょんなことから怪しい本を手に入れた小生意気な少年が、その本から妖精を呼び出してしまう。妖精は貴様の願いを何でも叶えてやると言い、少年は考えなしにその甘言に乗って「世界一男らしい男の中の男にしてください!」と頼んでしまう。ところがその妖精は願いを逆に叶える存在で、少年は気付いたら女の体になってしまっていた。成長するにつれて、彼(彼女)は男に戻るどころか、どんどん女性として魅力的な容姿へとなっていく。まさしく「世界一女らしい女の中の女」へと近づいていくのだ。そして高校入学初日、そんな誰もが振り向く美少女・天使恵は、誰もが恐れおののく最悪の不良・蘇我源三と対峙し、彼を張り倒してしまう。

そこからいよいよ物語がスタートする。今まで男の誰にも負けたことがなかった蘇我は、まさか自分が女に負けたなどということが信じられず、恵のことを気にするようになり、やがて彼女が強さの裏で見せる天使のような仕草に惚れ込み、好意を持ち始める。また他にも恵の美貌に惹かれて何もかもが普通な男・藤木、ギリギリを愛する変態オタク・安田、そして誠実なイケメン剣士・小林といった個性溢れる仲間たちが集まり、恵の幼なじみの美木も加わって、身の回りで起こる喧嘩や事件に巻き込まれる中で絆を深めていく。そしてかつて恵を女へと変えてしまった魔本を皆で協力して探していくのだが、7年前に起こったその現象が単純な妖精のイタズラではなかったことが段々と判明し、恵を含む六人がそれに伴う様々な苦難を乗り越えながら、次第に真相へと迫っていく物語だ。

その上で、この作品の全編を通して描かれるテーマが「男らしいとは何か、女らしいとは何か」ということであるのが興味深い。この作品は先述したような謎に迫っていくシリアス風味が作品の根底に存在してはいるものの、基本は学園ラブコメディということでギャグ要素もかなり多く含まれており、そういった部分の面白さも非常に得難いレベルなのだが、驚くべきはギャグシーンもシリアスシーンも双方とも含めて、その全体をもって「男らしさ」「女らしさ」について描いた作品になっているところだろう。

元々は男だった主人公が女になって不良と喧嘩するという、一歩間違えれば性倒錯とさえ捉えられかねないストーリーの中で、男女というものについての提言をなすという試みがそもそも意外性に溢れているわけだが、これがまた見事に結実しているのである。

「男は男らしく、女は女らしく生きろ」などと言えば、それはあまりに前時代的だという批判や、場合によっては性差別だなどという怒号さえ飛んできそうなのが現代社会である。だが、「男らしく」「女らしく」といった価値観は、果たして間違ったものなのだろうか。

もちろん、男は絶対にこういう生き方をしなければダメだとか、女がああいうことをするのは失格だとか、そこまで断定的な価値観にとらわれてしまうのは個人の自由という理念に反するだろうし、実際に大きな社会的損失を生むだろう。しかし男には男ならではの特徴、女には女ならでは特徴というのがあるのは、生物学的に動かしようのない事実だ。それを無理矢理に無かったことにするかのような、現代社会の形式的な男女平等の傾向には僕は疑問を覚える。違いを受け入れた上で考えることこそ真の平等ではないだろうか、と。

『天使な小生意気』もまた、そういった現代における過度の男女平等に対する一つのアンチテーゼたりうる作品だと思っている。だが勘違いしないでほいのは、この作品はいわゆる男尊女卑を掲げているのでもなければ、「男は武士、女は大和撫子」という古い価値観を押しつけようとしているのでもないという点だ。たしかに“武士”や“大和撫子”といったワードは作中に出てくるし、話の中にも深く関わっている。(その関わらせ方もまた妙味なのだが。)しかしこの作品における「男らしい」「女らしい」という概念は、そういった古い考え方にとらわれない、もっと本質的な、ある意味で男女の垣根を越えた人間哲学として描かれるのである。

これを言語化するのは非常に難しい。だが最後の20巻までを読み終えたとき、読者は頭の中にそのイメージがしっかりと組み上がっていることに気付くはずだ。現代における男女の均一化の風潮へ一石を投じるものでありながら、男尊女卑や女尊男卑とも違う、時代や固定観念にとらわれない「男らしさ」「女らしさ」の魅力を問いかけ、言葉ではなく特殊な設定を敷いた物語の中でありありと体現してみせた西森博之氏のセンスには、もはや感服の一言以外見当たらない。それはセックスやジェンダー論といった次元を飛び越えて、現代人がつい見失ってしまいがちな美学や信念、そういったものを内包した普遍的な価値観を我々に思い起こさせてくれる。

男女差別や性の偏見が糾弾される現代において、あえてそのテーマに真っ向から切り込み、多彩なギャグや青春ラブコメ要素を交えながらも、現代社会の価値観にも決して矛盾しない、個性あふれる男性および女性の人間像を描ききった傑作である。


  *  *  *


西森博之作品の魅力をあらわす最大のキーワードは、「哲学」だと思う。

作者の哲学ではない。登場人物の哲学である。彼の作品のキャラクターたちは、皆、自分の中にそれぞれの哲学を持っている。たとえ哲学と言えるほどしっかりしたものではなくとも、自分自身の中に、一本、決してぶれない何かがあって、それに従って生きている。だからこそ、どの人物も魅力的に映る……そんな気がするのだ。

上で挙げた『天使な小生意気』では、蘇我をはじめ恵の周りに集った男たちは、恵から「もっと男らしくふるまえ」と諭されたことを契機に、男らしいとは何かについて考えて実践していくようになる。何も楽しいことがなく毎日喧嘩に明け暮れていた不良の蘇我が、男らしくあるためにはどうすればいいかを考え、自らの信念を築いていく様には、人間としての成長が鮮やかに描かれている。

また別の『お茶にごす。』という作品は、喧嘩で無敵の不良として誰からも悪魔と呼ばれ恐れられている主人公の船橋が、あろうことか茶道部に入部して茶道を学んでいく物語だが、彼は幼少の頃のとある原体験から「優しい人間」であることを常に目指しているという設定だ。「強くなければ優しくなれない」という理由から常日頃から体力作りをかかさず行い、そして親しい人間が虐げられたときにそれを助けるために喧嘩をしているうちに、いつのまにか不敗伝説ができあがってしまい、皆から怖がられるようになってしまったという次第である。

だが、登場人物のもつ「哲学」という要素がもっとも顕著だったのが、2010年から2012年まで連載されていた『鋼鉄の華っ柱』という作品である。これもまた僕の中では唯一無二の存在であり、『天使な小生意気』に次ぐ、あるいは見方によってはそれすら凌駕するほどの名作だと考えている。

お金持ちお坊ちゃんの家が倒産し、一夜のうちに無一文に……。

……というのはわりと誰でも考えつきそうなストーリーだが、このお金持ちお坊ちゃんを脇役ではなく主人公に据えて、その設定をもとにこれまで誰も見たことがないような魅力的な人物像を描き上げてしまうのが西森博之氏なのである。

主人公の御前崎真道は、御前崎家の嫡男として何不自由なく育つとともに、幼少時から勉学・スポーツ・教養のあらゆる分野において高度な教育を受けていた、そんな彼の信条は、常に「紳士であること」だった。だが家が倒産し、無一文になってもなお、彼はその信条を貫けるのか。

結論から言うと、貫くのだ。貫いてしまう。周囲から惨めだとののしられ、後ろ指を指され嘲笑されようとも、彼は自らの「こうあるべきだ」という姿を、決して崩さない。厚顔無恥なわけでも、周囲の視線に無頓着なわけでもない。むしろ彼は誰よりプライドが高く、また周りの人間の前では格好を付けようとする。そのくせ、必要とあらば土下座すらやってのける。一見矛盾した行動のように見えるが、その程度で損なわれることのない何かを、見る者の心に直感させる。

そして性格が良いかというと、そうでもない。彼は計算高く、狡猾で、腹黒い。親しい人間からさえ「計算鬼」と呼ばれるほどに。誰かと何かいざこざがあったときは、必ず最後は自分が完全勝利するように全てを運ぶ。けれどもどこか仲間思いで、篤実なところもある。

周囲の視線を気にしない一方で、周囲に対して見栄を張ろうとする。狡猾で手段を選ばない一方で、誠実な「紳士」としての在り方から決して外れない。この一見すると支離滅裂で、掴み所のない人格を、見事に一本筋の通ったキャラクターとして描出しているのがすごい。言うなれば「格好を付けるためなら不格好にもなれる」、それが御前崎真道の紳士哲学なのだ。

真のプライドとは何か、を考えさせられる物語である。それは決して、他者の安易な評価や中傷によって揺らぐものではない。しかし同時に、他者に認められる努力を惜しんだ所にも存在しない。このどうしようもない矛盾の中で、絶妙な形で自らの信念を実践していく主人公の姿は娯楽漫画としても面白い一方で、ちまたに溢れる下手な啓蒙書を読むよりもずっと本質的な処世術を教えてくれる作品でもある。

数多の情報が飛び交い、情勢がめまぐるしく変化しつづける社会において、確固たるものを持つことの難しさは、現代人の誰もが痛感しているところのものだろう。こういう時代に生きる人々にこそ、西森博之作品は大切なヒントを与えてくれる気がするのである。

  *  *  *

このように書くとまるで小難しい堅物作品のように思われてしまうかもしれないが、実際はどの作品も、頭空っぽにしても楽しめるような楽しいギャグ漫画である。ギャグ漫画なのに、どこか真剣で、どこか考えさせられる。その独特のテンションが西森博之作品の醍醐味と言えるかもしれない。

この人の作品の魅力は、シナリオや物語設定、そして独特かつ簡素な絵柄(下手だと言う人もいるが、僕は味があると思う)に加えて、キャラクターの台詞回しもまた特徴的で光るものがある。「どうやったらこんな会話思いつくんだろう」と驚かされることもしばしばだ。

是非これからも、そのセンスを遺憾なく発揮した作品を描き続けてほしいと願うばかりである。


■ 参考作品
・西森博之 『天使な小生意気』 サンデーコミックス (1999-2003)
・西森博之 『鋼鉄の華っ柱』 サンデーコミックス (2010-2012)


前の記事≪   | ホーム |   ≫次の記事

[ コメント ]

[ コメントの投稿 ]


 

 プロフィール

柾葉 進  (まさば すすむ)

 ブログ内容

哲学、歴史、文学、評論等。アニメやエロゲ(美少女ゲーム)を切り口にして論じたものが多数あります。

 ブログ案内

 全記事リスト

全ての記事の一覧

 ブログ内検索

 連絡先

pantheratora2369
☆zoho.com
(☆を@に変えて下さい)

 カテゴリ

 年別アーカイブ

 新刊情報

 
● 「私たちが選挙に行く意味は本当にあるのだろうか?」

 刊行書籍

 
● 「『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の類似点に関する考察」(2015年)
 
● 「美少女ゲーム作品にみるニーチェの思想」(2015年)

 RSSリンク

 

FC2Ad



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。