語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-12

« 12345678910111213141516171819202122232425262728293031»

[--------]  スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


[2011-08-02]  王道は難しい  

「大手エロゲメーカーと言えば?」という問いで、もはや必ず名前が挙がってくるブランド、AUGUST(オーガスト)。会社名は株式会社「葉月」。

もともとは慶應義塾大学の学生らが立ち上げたサークルだったが、今ではエロゲ業界における、文字通り「王者」的ポジションとなっているのは、傍目にもなかなか感慨深いものがある。

「8月」は、かのローマ帝国初代皇帝に縁のあるいわば「皇帝の月」であり、その名アウグストゥスにちなんで「August」という月名になったわけだが、2000年の時を経て、極東の島国のエロゲメーカーの名前にまでなるだろうとは、アウグストゥス本人も予想だにしなかったに違いない。

このブランドの作品がヒットし、今も愛され続ける大きな理由としては、無論その中身、つまりシナリオの安定性や絵の可愛さ、背景の綺麗さなどもさることながら、作品のテーマ曲やBGMがもつ“透明感・清涼感”というのもまた、大きく寄与しているように思う。

「そうそう、こういう作品がやってみたかったんだ!」という時代の声に、おそらく本当にうまくマッチしたのだという気がする。新しい道を切り拓くのは、えてして「なにやってんだあいつ」と指をさされる変わり者であり、その変わり者のうちの一握りがやがて民意を得て、時代の第一線に立つ。でも、オーガストはそういうタイプではない。最前線で我が道をゆく猛者のややうしろに立って、その新道を整備していく。カエサルが切り拓いた可能性を、アウグストゥスが継いで帝国を築いたように。

物語作品というのは芸術であると同時に、娯楽でもある。だからこそ、実はこういう役割を担う者の存在が、本当に重要なのだ。陳腐だとか二番煎じだとか、そういう声は当然あるだろう。しかし、その中でさえ埋もれない何かを磨き上げたのがオーガスト作品なのである。その性質を一言で表現するならば、良くも悪くも、やはり「王道」という言葉になるのだろうか。

ちなみにローマ帝国第二代皇帝ティベリウスに、周りの者が「あなたの名前もどれかの月の名称にしましょう!」と提案したとき、ティベリウスは「いやいや、もし皇帝が13代まで続いたらどうすんの……」と言って却下したらしい。

なんという冷静な判断だろう。いや、たとえ冷静に判断できたとしても「自分一人くらいいいだろう」と思ってしまうのが人間だ。なにしろ自分の名前が永遠に残るチャンスなのだから。けれどもその調子で、もし月の名前を変える習慣が13代目まで続いてしまったら、初代皇帝の月のAugustが塗りかえられてしまうかもしれない。そうなると帝国の権威も減じてしまうだろうし、何より月の名前が頻繁に変わると国民も混乱するだろう。ティベリウスは自分の名前を残すことより、帝国の秩序を保つことを優先したのだ。二代目以降はどうしても初代の影に隠れてしまう存在ではあるが、そういう“目立たない”皇帝がいたからこそ、後の「ローマの平和」(Pax Romana)は実現したとも言えるのではなかろうか。 実際、彼は金融危機対策、食糧供給の安定化、辺境防衛網の確立など優れた行政手腕を発揮し、そういった実務的な面においても帝国繁栄の基礎を築いた人物なのである。

やや話は変わるが、昨今の日本行政を見るに、というか昔から“お役所仕事”はそうなのかもしれないが、どうにも「何かを変える」「新しいことをする」ということが過剰に目的化されている気がする。(特に教育方面の施策にそれを強く感じている。)

変革それ自体は悪いことではないし、むしろそれ無しでは社会は進展しない。けれども、それは「本質を変える」ものでなければならない。制度やシステムといった外側を変えて、それだけで「はい、この通り改革を行いました。私は社会を変えました。仕事しました。」という顔をするのは、いかがなものだろう。 でも、確かにそのほうが国民からは評価されるのだ。わかりやすい変化があるのとないのとでは、当然あるほうが受けが良い。表面的であればあるほど、何も知らない人の目にさえ触れるほどの業績となるだろう。

しかしそんな国民の生活を本当の意味で支えているのは、詳しく見なければ分からないような、いわば“目立たない”仕事のほうなのではないだろうか。わが国には「縁の下の力持ち」という諺がある。正直、子どもの頃聞いたときには「ふーん」としか思わなかったが、今の年齢になって改めて社会を見渡すと、この言葉は意外に深いのではないかと思うことが往々にしてある。

あえて一般的な歴史認識に反することを言わせてもらうと、もしかするとカエサルよりはアウグストゥスが、アウグストゥスよりはティベリウスが、ローマ帝国の真の立役者だったのではないだろうか。 カエサル(ジュリアス=シーザー)はJulyとして、アウグストゥスはAugustとして名前を永遠に残したけれども、その二人のあとに、あえて名前を残さないことを選んだティベリウスの、いわば“凡庸であろうとした偉大さ”をこそ我々は今一度ふりかえってみるべきである。

人間は、どう取り繕っても変化や奇抜さを求める生き物だ。だからこそ人の上に立つ者にとって一番大事なことは、実は「変わらない」こと、「普通である」ことだったりするのかもしれない。

「王道」という言葉が、陳腐なもの、使い古されたお約束というイメージで使われる場面をよく目にするが、それはある意味で「王」という者のあるべき姿を示している現象とも言える。王道から外れることなく基本に沿って何かを目指すというのは、国政においても、創作においても、誰でもできるように見えて、実はとてつもなく難しい事に違いない。

AUGUSTは、それをエロゲで成してみせたブランドだと言えるのかもしれない。



前の記事≪   | ホーム |   ≫次の記事

[ コメント ]

[ コメントの投稿 ]


 

 プロフィール

柾葉 進  (まさば すすむ)

 ブログ内容

哲学、歴史、文学、評論等。アニメやエロゲ(美少女ゲーム)を切り口にして論じたものが多数あります。

 ブログ案内

 全記事リスト

全ての記事の一覧

 ブログ内検索

 連絡先

pantheratora2369
☆zoho.com
(☆を@に変えて下さい)

 カテゴリ

 年別アーカイブ

 新刊情報

 
● 「東大医学部卒が語る 医師国家試験多浪体験記」

 準新刊情報

 
● 「私たちが選挙に行く意味は本当にあるのだろうか?」
 
● 「Boys,be unprecious!」

 刊行書籍

 
● 「『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の類似点に関する考察」(2015年)
 
● 「美少女ゲーム作品にみるニーチェの思想」(2015年)

 RSSリンク

 

FC2Ad



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。