語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-05

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[2012-03-17]  『Fate/stay night』と『魔法少女まどか☆マギカ』のストーリー構造の類似点と、そこから辿る両作品の主題について  

作中のある人物が放つこの言葉は、しかし本当は誰の声だろうかと、ふと考える。

 I am the bone of my sword.
 Steel is my body, and fire is my blood.
 I have created over a thousand blades.
 Unknown to Death.
 Nor known to Life.
 Have withstood pain to create many weapons.
 Yet, those hands will never hold anything.
 So as I pray, unlimited blade works.


『Fate/stay night』というエロゲを初めてプレイしたのは、5年ほど前のことである。「面白い」と思った。けれど「それ以上のものではない」とも思ったのだ。

「Fateは文学」などと言われることがある。なるほど、たしかにテキスト量は膨大だ。(平均50時間と言われる。)文体も特徴的で、好きな人は好きだろう。世界観も非常に練られていて、雰囲気もうまく表現されている。しかし何かが足りない。作品の中から訴えかけてくるものが何もない。他の名作と呼ばれるものに必ずある“作者の叫び”が、Fateには感じられなかった。

しかし最近になってふと、もう一度最初からやり直してみようと思い立った。そうして自分でも驚いたのだが……泣いてしまったのだ。

「ああ、こういうことだったのか」と。作者はこんなにも叫んでいた、僕が聞こえていなかっただけなのだ。5年前に読んだときと全く同じ文章であるはずだ。なのに、今は作者自身の苦悩や葛藤が痛いほど伝わってくる。なんとも不思議な感覚だった。以前プレイしたときは何だかんだで話の筋を追うのに夢中で、登場人物のセリフの端々まで味わう余裕が持てなかったのかもしれない。だが今回は話の展開はわかっている分、登場人物たちの言動や信条を分析することができたし、何よりそこに込められたシナリオライター本人の葛藤のようなものをじっくりと読み取ることができた。

といっても、それは複雑なものではない。むしろ単純な、生きていれば誰もが多かれ少なかれぶつかる類の悩みではないかと思う。要するに「物事はつきつめればわからなくなってしまう」ということだ。何か一つのことを極めようとすればするほど、細部を考慮しなくてはならなくなった結果、かえって本質を見失ってしまう。「木は遠くから見れば綺麗だが、人間が近づいてその下にたどり着くと、その美しさは消えてしまう」というショーペンハウアーの言葉にも呼応するものがあるだろう。

僕自身にも思い返せばそういう経験はある。しかし、Fateのライターの奈須きのこ氏は、おそらく僕などより何十倍も深く突き詰めたのだろう。人という存在に内包された根本的な矛盾と向き合い、絶望し、それでもこの世界に何かがあるんじゃないかと、意味を紡げるのではないかと抗い続ける……それは作中のキャラクターに仮託された作者自身の哲学ではないかと思う。

作中で、自己のあり方について葛藤し続けたある人物が、最後に言う。「答えは得た、大丈夫だよ」と。それによって物語の中の命題の一つに決着がつく。しかし、それは相当の覚悟を必要とする厳しい道のりの出発点でもある。奈須きのこ氏自身もまた、その厳しい道のりを答えとしたのかもしれない。「答えがないのが答えだ」などという安易な思考停止では、おそらく彼は満足しないだろう。他の普通に生きている人から見れば「なんでそんなことを悩むのか」と一笑に付されるだろう悩み、しかしそれを作者は真剣に問い続けて、一つの物語を自らの言葉で紡ぎ上げたのだ。

これが「文学」でなくて何であろうか? 文章の上手下手など、さして問題ではないのだ。文章の量など、さらにどうでもいい。もっとずっと大きなものが、この作品にはちゃんと含まれているではないか。

Fateという物語の根底を流れる作者自身の思想に、僕は涙せずにはいられない。それは底知れない虚無感の中にあって、なお前に進もうとする人間の意志である。何の意味のない世界で、それでも意味を生み出したいと願う人間の心である。(これはまさしくニーチェの思想でもある。)ゆえに彼の作品の登場人物は、敵も味方も皆、「生の無意味」と戦っている。作者は己の中に渦巻く思想を、「正義」と「悪」の二つの概念に仮託し、それぞれを主人公と対立させるという、独特の構造をもってそれを描く。冒頭の詩を唱えるのが「正義」の人であるならば、「悪」の人は言う。

「この世にただ一つ純粋な願いがあるとしたら、それは
 『この世に生まれ出たい』という一念ではないのか?」


手にした者のどんな願いでも叶えるという“聖杯”を巡る戦争。歴史上の「英雄」と呼ばれる者たちが現代に召還され、壮絶な戦いを繰り広げる中で、主人公が向き合うのは「正義」に内包されるいびつさ、そして「悪」の持つ純正さである。善悪が交錯し、全てが曖昧になった世界で紡がれる「願い」とは何か。作品の根底に始終鳴り響いているのは、ただひたすらに生の意義を問い続ける作者の声である。

『Fate/stay night』はいわゆる“厨二”作品の金字塔とされることも多いが、我々はそれ以上の何かを、この作品から読み取らなくてはいけない。少なくとも僕自身はそう感じている。



§『魔法少女まどか☆マギカ』に沿った『Fate/stay night』の解釈

以下、『魔法少女まどか☆マギカ』との比較考察に移る。かなりのネタバレを含むので、読む人は注意されたい。

『Fate/stay night』は「正義の味方」をテーマに据えた物語である。具体的には主幹となる3つのルートから成るが、それらは

 ①「正義の味方」の一般的定義
 ②「正義の味方」という概念の吟味
 ③「正義の味方」というあり方の完全否定

という意味を持っていると自分は解釈する。

まず①について。主人公が、少女の姿をした「王」の英霊を召還するところから物語は始まる。「セイバー」の名を冠するその少女は、誰よりも強く尊い存在だった。幼少時に死ぬはずだった命を、ある男によって救われた原体験を持つ主人公は、それ以来ずっと正義の味方に憧れ、誰かを救う存在でありたいと願い続けていた。そんな彼の目には、騎士王たるセイバーは何よりもまぶしく映る。やがて彼はセイバーとともに、聖杯戦争を戦い抜く決意をする。彼には私利私欲など無く、「聖杯が悪い人間の手に渡らないため」に戦う。そのあり方はまさしく、きっと誰しもが子どもの頃に憧れた英雄(ヒーロー)、世のため人のために戦う「正義の味方」に他ならなかった。死闘の末、彼とセイバーはついに「悪」の敵に勝利し、聖杯戦争を終結させる。約束された勝利の剣(エクスカリバー)、すなわち「正義は勝つ」という幻想の名のもとに。

そのエンディングによって、②のルートが解放される。聖杯戦争においては、あらゆる時代のあらゆる国の英雄が召還されるのだが、この時点で未だに正体が明かされない英霊「アーチャー」がいた。彼は①ルートにおいては主人公の味方になり、最後は主人公たちを守るために自ら犠牲となって死ぬ。②ルートにおいても彼は時として主人公の力になるが、主人公は何故かアーチャーの存在を素直に受け入れられない。さらにアーチャーも、後半から主人公を殺そうとする。その理由は、やがて彼の正体とともに語られる。英霊アーチャーの正体は、「主人公の未来の姿」だった。主人公が自らの理想を貫き、未来においてついに万人を救う英雄となった、その成長した果ての姿こそがアーチャーだったのだ。しかし、アーチャーは自らの原点である主人公を殺そうとする。彼は、自身が「英雄」というものになって初めて気づいたのだ。正義の味方というのがどれほど空虚で矛盾した存在か。だから理想を抱いていたかつての自分を絶対に許せなかった。

 「そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた!」

 「故に、自身からこぼれおちた気持ちなどない。これを偽善と言わずなんという!」

 「この身は誰かの為にならなければならないと、強迫観念につき動かされてきた。
 それが苦痛だと思う事も、破綻していると気付く間もなく、ただ走り続けた!」

 「だが所詮は偽物だ。そんな偽善では何も救えない。
 否、もとより、何を救うべきかも定まらない―――!」


このルートは、「今の主人公」vs「将来の主人公」という対比によって、「正義」という漠然とした言葉が意味するところの実体が、実はどこにもないのではないかということを浮き彫りにする。人間は誰もが善く生きたいと願うのに、完全に善なる存在になりきることができない。どこまでいっても中途半端な存在でしかないことへの絶望と怒りがそこにはある。しかし、ならば理想を抱くことも間違いだろうか……? 最終的に主人公はアーチャーに勝つ。そしてアーチャーは、矛盾にあふれた自分という存在に対して「答えを得」るのである。

主人公自身の理想についての根源的な矛盾が解決したかと思えば、物語は最後に最大のテーマを用意する。ルート③において提示される問題はきわめて単純だが、重い。「この世界を救うために、自分の愛するたった一人を殺せるかどうか」である。自分の好きな人を守りたいと思うのはエゴである。そのエゴが、主人公がずっと信奉してきた「正義」と反してしまったとき、彼は苦悩の果てにあれほどまで貫いてきた「正義の味方」というあり方を捨てる決断をする。だが、結果的には主人公は「世界」と「愛する一人」の両方を救い、聖杯戦争を真の意味で終わらせる。ご都合主義だと言えばそれまでだが、主人公のこの選択を以てハッピーエンドとしたことはきわめて象徴的であると自分は考える。

それは、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』との対比によって明らかになる。

この作品における「魔法少女」は、fateにおける「正義の味方」と非常によく似ている。巴マミという先輩の魔法少女に憧れて、自分も魔法少女になりたいと思う主人公・まどか。孤独の中にあっても、人々を救うために悪と戦いつづける彼女の姿は、さながらfateのルート①におけるセイバーのような存在である。自己を犠牲にしてまで戦う覚悟が自分には無いと悩むまどかにとって、巴マミは「かっこいい」人として映り、憧憬の対象となる。そして、そんなまどかに対して「絶対に魔法少女になってはいけない」と忠告する人物が現れる。曉美ほむらである。物語の後半で明かされるのは、曉美ほむらには時間を巻き戻す能力があり、彼女は未来において魔法少女というシステムに隠された真実を知って後悔するまどかに、「バカだったあの頃の私を助けてあげて」と頼まれて過去に戻ってきたのである。

つまり、まどか本人ではないが、曉美ほむらという人物を介することにより、fateのルート②に見られる主人公vsアーチャーと同じ構図になっているのである。しかし、最後の最後にまどかは魔法少女になる決意をする。それはずっと目指してきた「正義の味方」の夢を、愛するただ一人を守るために切り捨てるfateの主人公とは一見、対照的である。しかし、重要なのは決断の理由、すなわち「一人のために」という点である。まどかは友人である曉美ほむらを救うためだけに魔法少女になる決意をし、結果的に世界を救う。それもまたご都合主義ではある。しかし、そこに込められたメッセージに注目するべきだ。

「自分を犠牲にしても社会のために」という、巴マミのような尊く気高い信念など無かった。それが無かったはずの少女が、どうして最後に魔法少女になったのか。薄っぺらい憧れや理想だけでは、人間は何者にもなれない。尊く生きなければならぬという義務感だけでは、いつか破綻する。しかしそんな人間に、それでもなお一歩を踏み出させるものがあるとすれば、それは「大切な誰か」を守りたいという一念ではないか。刹那的であるかもしれないし、単なるエゴに過ぎないかもしれない。だが「世界のために」だとか「社会のために」だとか大それたことを考える前に、 目の前のただ一人に手をさしのべたい、と思う素朴な心にこそ、人間という存在を何より尊くする瞬間があるのではないか。

だからこそ、fateは最後に「正義の味方」を否定したのだ。人は、英霊のような清く美しい存在にはなれない。けれども人は、確かに他の誰かのために一歩を踏み出せる存在なのだ。その願いの尊さは、時として英霊さえも凌駕する。アーチャーは「自身からこぼれおちた気持ちなどない」と言った。その気持ちを、最後に主人公は手に入れるのである。

正義の味方をテーマに掲げ、歴史上の英雄たちを戦わせ、彼らの気高い生き方を豊かに描き出し、壮大なドラマを繰り広げてみせた『Fate/stay night』と、それをアニメの一大ジャンルである魔法少女という宿命の中で描き出してみせた『魔法少女まどか☆マギカ』。しかし最後に運命を動かすのは、一人の人間に芽生えた純粋な願いなのである。両者ともに、人間愛に満ちた作品だと思う。


■ 参考作品
・『Fate/stay night』 TYPE-MOON (2004)
・『魔法少女まどか☆マギカ』 シャフト (2011)


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