語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-08

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[2013-05-07]  キャラクターの個性獲得  

美少女ゲームを一つの文化的な作品として見るとき、多くの場合(特に昔の作品)に当てはまる欠点に「女性キャラクターの性格および言動が、作品という形式から独立できていない」というのは前々から自分も感じているところではありました。

どういうことかというと、簡単に(そして極端に)言えば女性キャラクターが「我々にとって都合の良い女の子」でしかないということです。

例えば、ある美少女ゲームにおいてAとBという二人の少女が主人公に少なからず好意を抱いてるものとします。こういう場合、たいてい物語途中に選択肢があり、その選び方によって主人公がAと結ばれるか、Bと結ばれるか等にルート分岐します。そして、たとえばAを選んだ場合、たいてい話の焦点はAのみに当てられ、Bはあんまり出てこなくなったり、Aと主人公との恋を無条件に応援したり見守ったりする役回りになってしまうことが多いわけです。

Aと主人公とは相思相愛になれてハッピーですが、「それじゃBの気持ちはどうなるんだ?」って感じですよね。つまりここではBという少女の意思が都合良く無視されているわけです。「主人公はAとくっつくんだから、Bは大人しく引き下がっておいてくれ」とでも言わんばかりの、作品の都合という圧力下での、Bに対するいわば意思の調整が行われている。

これは美少女ゲームが抱えている大きな問題であると同時に、一方ではたしかに、物語をきれいな一つの形として整えるためには、ある程度必要な要素でもあります。

Aと結ばれるという趣旨のルートなのに、「Bも主人公に密かに想いを……」みたいな感じで、Bがやたらと絡んでくると話はやっかいなものになりがちです。かえってドロドロな三角関係なんかになられてもあまり爽やかな気持ちで読み進められなくなりますよね。 (美少女ゲームが既存の文学作品に勝っている点として、作品の雰囲気の“爽やかさ”が重要な一つだと自分は考えています。故に、これを失うのは痛手が大きいわけです。)

このことを踏まえたとき、2003年にALcotから発売された名作『Clover Haert's』のすごさが見えてくるように思います。

すなわち「A、B二人の少女の心を、どちらも殺すことなく、作品という枠で縛るのではなく、作品の中でありのままにぶつけている」のである。一人を選んだとき、もう一人はどんな気持ちを抱くか。割り切れない心。理屈通りにいかない人間関係。人と人の間にある極めて現実的な距離感を、この作品を読む者はまざまざと感じさせられる。だというのに、この何とも言えない爽やかさは一体全体どこから生まれるのであろうというのがこの作品の不思議さです。

ここに描かれている恋愛や友情は、決して読者の思い通りで、都合が良くて安易な展開ではないはずです。にも関わらず、ここまでの爽やかさを演出できている点こそが、この作品の真価であると言えるのではないでしょうか。

「キャラクターがそれぞれの個性と意思を持ってそこに生き生きと存在しているかのようであり、作品という人為的な形式をまるで感じさせない」ということは、魅力的な物語の一つの条件だと思っています。主人公、そしてその他の男性・女性登場人物たちが都合良く作られたキャラクター風を強く出してしまうと、やはりそれは共感から一歩遠ざかります。

たとえば萌え業界における典型的な用語として“ツンデレ”があります。ここでツンデレそれ自体を批判するつもりはありません。ただ、ツンデレなどの概念が世に氾濫することで、型にはまったようなキャラクターが萌えとして前面に押し出され売られるのは、正直どうなんだろうなと感じます。

もちろん商品である限り、買う人の需要に応えることも必要でしょう。しかしながら、その需要とはあくまで表面的なものに過ぎないことに注意しなければならない。まるで購買層に媚びるかのように作られたキャラクターは、結局は軽薄で深みがない。

これは美少女ゲームに限らず、近年のアニメやラノベにおける似たような作品類型の量産化の傾向に対しても放つべき警句であると思います。この点に留意することによってこそ、最初に述べた美少女ゲームの抱える課題はクリアできるであろうし、その現れの一つが2003年の『Clover Heart's』においてすでに示されていたと解することもできます。

近年の美少女ゲームではそれほど珍しいものではなくなりました(それだけ美少女ゲームが進化を遂げたということでもあります)が、上記のような意味での「キャラクターの個性の解放」をあの時期にすでに示唆したという点では、この作品はエロゲ史において注目すべき一作と言えるように思います。

またヒロインの少女だけではなく、主人公自身の個性獲得にも一つ歩を進めたというのがこの作品に見られる特徴だと思います。2000年前後というのは、美少女ゲームと言えば依然として没個性的な主人公が多く、顔は髪で隠れ、そして名前もプレイヤー自身が決められるというタイプも多かった時代です。その中でこの『Clover Heart's』は名前や顔をしっかりと設定し、そして何より複数主人公制を導入したという点で画期的だったのではないでしょうか。

しかもそれは単なる複数主人公ではなく、双子であるというのがミソです。双子であり容姿もある程度は似ているということは、逆に言うと違いをしっかり描き分けなければならないということです。すなわち双子の主人公という時点で「個性」を出さなければならないということですが、この作品では見事にそれを表現し、またヒロインも双子という設定で対応させることでやや特殊な状況をつくりあげ、互いの個性をしっかりとシナリオに結びつけながらそれぞれの葛藤を鮮やかに描き出しました。

その葛藤を乗り越えて4人が幸せへと向かう温かい物語は、まさしく四つ葉のクローバーを主題として冠するにふさわしい作品だと言えましょう。


■ 参考作品
・『Clover Heart's』 ALcot (2003)


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