語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2018-09

« 123456789101112131415161718192021222324252627282930»

[--------]  スポンサーサイト  

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


[2017-05-29]  『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の類似点に関する考察  

【本記事は、2015年8月に刊行した同タイトル書籍の全文となります。発刊から一定期間が経過したため掲載致します。新刊案内時の記事はこちらです。】

-------------------------------------

(1)はじめに

今年僕が読んだ本の中で特に印象に残っている作品の一つに、『永遠の0』がある。2013年に映画化されて話題になっていた本作だが、「戦争もの」ということで何となく避けてしまっている人も多いのではないかと思う。だが少なくとも言えることは、原作小説と映画版のどちらにおいても、いわゆる戦争賛美の視点に立った物語では決してなく、むしろそれとは真逆のメッセージ性を持つ作品だったということである。そのメッセージが正しいかどうかはともかくとして(僕自身、この作品の方向性に賛同できない部分も少なからずあるのだが)、明治維新以降の近代日本の集大成であり、終点であり、そして現代の日本の起点ともなった太平洋戦争について、多岐にわたる情報および一定の見方を提示してくれているという点で、そこから連なる今という時代を生きる日本人にとって一読あるいは一見の価値が十二分にある作品だと確信している。

さて、この『永遠の0』を読み終えたとき、感動とともに不意に僕の頭の中をよぎった別の作品がある。その作品とは、2011年にTV放映されていたアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』である。魔法少女という子ども向けジャンルの王道を題名に掲げておきながら、仲間の魔法少女が序盤でいきなり凄惨な死を遂げたり、魔法以上に爆弾や銃火器を使いこなす少女が出てきたり、何より主人公自身が魔法少女にならないまま物語が最終話を迎えてしまうなど、既存の「魔法少女モノ」という枠組みを真っ向から否定する、あまりにも型破りな作風が放送当初から話題となっていた。そして最終回を迎える頃には誰もがその結末に固唾を呑み、アニメ好きで『まどか☆マギカ』を見ていない者はいなかったのではないかと思えるほどの人気を博した傑作である。2012~2013年にかけては劇場版も公開されて成功を収め、90年代の『エヴァンゲリオン』や00年代の『涼宮ハルヒの憂鬱』に続く2010年代の代表作として、今後語られていく可能性は極めて高いと言えるだろう。

しかし、正直に言ってこの『魔法少女まどか☆マギカ』の大ヒットは、僕の目から見てやや不可思議な現象だった。たしかに、魔法少女モノであるにもかかわらず主人公が魔法少女にならないという斬新さが注目を集めるのはわかる。しかし、それだけで業界全体を席巻する巨大コンテンツになれるものだろうか。アニメに限らず人間のあらゆる文化的活動に対して言えることだが、一つのジャンルがある程度成熟して「この手の物語はこういう流れで進むのが普通だ」という認識ができあがると、必ず誰かがあえてその枠から外れるような作品を生み出す。だがそういう奇をてらった作品の大半は、「試みとしては面白いけど、あくまで風変わりなもの」という評価にとどまり、結局は主流の作品群の影に追いやられる運命をたどる。もちろん、それだけでは文化は発展しない。何千何百という型破り作品の中のごく一握りがパラダイムシフトを起こし、それ自体が新しい型となるのである。そしてそういった作品は、ただ単に奇をてらうだけでなく、次の時代の主流を担うだけの普遍性を必ずと言っていいほど有している。『エヴァンゲリオン』はガンダムに代表されるロボットアニメの枠を脱し、人物の心情と世界の様相が直結する“セカイ系”作品の礎を築いた。『涼宮ハルヒの憂鬱』はそのセカイ系を緩和し、日常系の中にうまく還元した。では、『魔法少女まどか☆マギカ』はどうだろう? 少なくとも、セカイ系や日常系といった座標軸上での普遍性はあまり認められないように僕には感じられた。

だからこそ、僕はこの作品の大ヒットに驚きを隠せなかった。こういうこともあるのか、と。もちろん人間社会というのは単純な理屈で推し量れるものではないし、普遍性のない作品であっても様々な偶然の要素が重なって爆発的な人気を得てしまうことだって無いとは言えない。何となくもやもやしたものを感じつつも、僕はそういう風にして受け止めていた。

ところが今年になって『永遠の0』を読み、僕は大きな考え違いをしていたのではないかと気づき始めた。読み終えてまず直感したのは、「似ている」ということだった。「太平洋戦争での特攻をテーマにした作品でありながら、主人公がかたくなに特攻を拒む」という物語の流れは、まさにあの『魔法少女まどか☆マギカ』に通ずるものではないか、と。どちらか一方のみのヒットなら偶然ということもある。しかし、共通点をもつ2つの作品が、同時代に“戦争小説”と“魔法少女アニメ”というまったく別の分野の作者によって描かれ、そのいずれもが人々の心をつかんで大ヒットを喫したとなれば、そこには必然的要素が絡んでいると考えるのが自然である。つまり両作品のシナリオには何らかの普遍性(おそらく前述のセカイ系や日常系とは別の次元での普遍性)が存在し、しかもそれは今この時代を生きる人々が潜在的に求めている社会思想に直接結びつくものである可能性が高いのではないかと僕は考えた。以下にその考察の推移を述べたいと思う。




(2)両作品における類似点

まずは、『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の両シナリオにおける共通項を整理してみたい【 図1参照 】。最も基本的な要素としては、両者ともに作品内に明確な「敵」が存在するという点が挙げられる。しかもそれは個人の敵ではなく、社会全体の敵である。『永遠の0』では日本とアメリカという国家間の戦争を背景にしている以上、アメリカは日本の社会全体にとっての敵という位置づけになる。『魔法少女まどか☆マギカ』では、人間社会そのものに災厄をもたらす“魔女”という存在が敵として描かれる。大日本帝国の軍人が国家を守るためにアメリカと対峙していたのと同じ構図で、魔法少女は人々の平和な日常を守るために魔女との熾烈な戦いに身を投じていく。

図1


子ども向けアニメに見られる魔法少女は、いわゆる夢と希望の戦士であり、まるで「正義は必ず勝つ」とでも言わんばかりに、どんな強敵が来ても最後は勝利することがある意味約束されている。だが『魔法少女まどか☆マギカ』における魔法少女はそうではない。主人公の鹿目まどかは、ある日魔女に遭遇して襲われてしまうが、そこに巴マミと名乗る魔法少女が現れてまどかを無事に助け出す。巴マミの戦う勇姿に強い憧れを抱くまどかだったが、その後まどかにも魔法少女の素質があることがわかり、「何の取り柄もない自分が皆の笑顔を守る魔法少女になれるなんて素敵なことだ」とすっかりその気になってしまう。ところがそう決意した矢先、巴マミが魔女によって無残に殺されてしまう光景を、まどかは目の当たりにする。魔法少女の戦いは常に命がけであり、安易な憧れや親切心だけでなっていいものではないと痛感するとともに、まどかは自らの命を捨ててまで世の為人の為に戦う覚悟なんて自分には無い、と涙を流し、魔法少女になることを断念してしまう。

そういった自分の身を犠牲にして戦う、という点はまさに軍人のあるべき姿でもある。『永遠の0』において描かれる日本軍の兵士たちは、誰もが国家のことを一番に考えて行動し、自身の命を省みないことが美徳であるという雰囲気の中で生きている。そんな中でただ一人、宮部久蔵という男は「生き残ることが最優先である」という主張を掲げて周囲の顰蹙を買う。優秀な戦闘機パイロットとして作戦はきっちりこなす一方で、危険を冒して敵を一機多く撃ち落とすよりも、まずは自らの安全を確保するというような慎重なふるまいは、他の兵士達から見れば女々しいものに映り、宮部は「臆病者」のレッテルを貼られてしまう。しかし周りから何と言われようとも彼は自らの信条を曲げなかった。彼は故郷に愛する妻と幼い娘を残していたのだ。「再び家族に会うためには、どんなことがあっても死ねない。」それが宮部の原動力だった。あるとき部下の一人が、もし自分が抜き差しならない状況になったら華々しく自爆させてくださいと頼みにきて、宮部は激昂する。普段は誰に対しても丁寧語で接する彼が、このときだけは「貴様には家族がいないのか。家族は貴様が死んで悲しんでくれないのか!」と叫ぶ。部下が「いいえ」と答えると、「それなら死ぬな。どんなに苦しくても生き延びる努力をしろ」と言い残し、去っていく。このシーンの言葉には宮部久蔵という人間の信念がそのまま現れているようで、印象的である。

そして実は『まどか☆マギカ』にも、似たような会話のシーンがある。魔法少女になろうかどうか迷うまどかの前に、曉美ほむらという正体不明の魔法少女が現れるのだが、彼女はどういうわけか、まどかに決して魔法少女にならないように、と忠告するのだ。

「鹿目まどか、あなたは自分の人生が尊いと思う?家族や友達を大切にしてる?」
「えと……わ、私は大切だよ。家族や友達の皆も大好きで、とても大切な人達だよ。」
「本当に?」
「本当だよ。嘘な訳ないよ。」
「そう……もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて絶対に思わないことね。さもなければ、全てを失うことになる。あなたは、鹿目まどかのままでいれば良い。今まで通り、これからも。」

巴マミが死んで魔法少女の運命の過酷さを知ったあとでも、まどかは周囲で魔女による被害が起こるたびに「やっぱり私が魔法少女になるべきでは」と心を動かす。しかしそこに必ず曉美ほむらが現れ、「もっと自分を大切にして」と涙ながらにたしなめるのである。『永遠の0』では宮部自身が「自分にとって命が何より大事」という強い思想を貫いていたのに対し、『まどか☆マギカ』では主人公のまどかに迷いがあるが、そこに曉美ほむらが強く説得する形で、やはり同じような思想を体現させる結果となっている。

『永遠の0』の後半では日本の戦局が圧倒的に不利となり、追い詰められた日本軍はついに特攻と呼ばれる作戦を開始する。それは九死一生ならぬ十死零生という、死ぬことが即ち成功であるという非情の任務である。同僚や教え子たちが特攻に参加し次々に命を落としていく中、宮部は罪悪感に心を蝕まれながらも、頑なに特攻を拒否し続ける。『まどか☆マギカ』では、まどかの親友の一人が魔法少女となって戦い、命を散らす。しかしそれでもまどかは、曉美ほむらの忠告に従わざるを得ない。誰だって自分の命を失うことは怖いし、家族だって悲しませたくない。両作品の最大の類似点はこの部分にこそある。国家や社会といった大きなもののために我が身を犠牲にする特攻という在り方、あるいは魔法少女という在り方は、遠くから眺めている限り美しくて憧れを誘うけれども、実際に自分がその立場に置かれたとき、その選択は本当に正しいのだろうか。二つの作品は、この問いにはっきりと「否」と答えているのである。何となく尊いものと思われてきた自己犠牲行為の歪さとむなしさを説くことによってその曖昧な信仰を切り崩し、自分という人間にとって最も大事なのは自分の命であり、自分の家族であると断言する。いわゆる綺麗事を一切排除して、そういった強い現実性を伴った哲学を物語の中で展開していることこそ、両作品に共通する特徴であり、魅力であるだろう。

だが、その共通点には続きがある。物語の最後の最後で、宮部久蔵は特攻任務を遂行し、鹿目まどかは魔法少女になるのである。そこに至るまでの過程では自己犠牲の精神を否定していた二人の主人公が、どうして最終的にその行為に身を投じたのだろうか。周囲の人間が犠牲になっていくことの罪悪感というのはあっただろうし、それは実際にいずれの作品内でも描写されていた。しかしそれだけではない、というのが僕の解釈である。それは彼らの強い信念を変化させるには弱すぎる。彼らをして決断せしめた本当の理由は別の所にある。すなわち人間の生存欲求さえ超越するほどの出来事が、双方の作品において生じていた点を見逃してはならない。

『永遠の0』には、宮部が筑波の航空隊に教官として配属され、予備士官たちの飛行訓練をしている最中に、その教え子の一人である大石賢一郎によって命を救われるというシーンがある。米軍の戦闘機(シコルスキー)が雲の隙間から襲いかかってきたとき、いつもなら慎重過ぎるほど警戒を怠らなかった宮部が、訓練中ということもあり完全に油断していた。そんな時、大石が操縦する零戦が、宮部機とシコルスキーの間に突っ込み、自ら盾となって敵機の銃弾を受けた。それが功を奏し、体勢を立て直した宮部は敵を撃退することができ、さらに宮部をかばった大石は大怪我を負ったものの、奇跡的に命は取り留めた。大石がそのような無謀なことをしてまで宮部を守ろうとしたのには理由がある。実はその事件が起こる少し前に、予備士官の伊藤という男が訓練中に戦闘機の故障による事故で亡くなるということがあった。それを受けて訓練所の中尉が、「死んだ予備士官は精神が足りなかった。たかだか訓練で命を落とすような奴は軍人の風上にもおけない」と語ったとき、宮部は「亡くなった伊藤少尉は立派な男でした。軍人の風上にも置けない男ではありません」と堂々と反論し、中尉に何度も殴られながらも、決してその言を撤回しなかった。それを見ていた予備士官たちは、仲間の名誉を守ってくれた宮部に心の中で深く感謝した。大石もまたその一人で、この教官を守るためなら自分の命など惜しくないと感じ、後日それを実践したのだ。

その後、宮部は別の場所に赴任していってしまうが、物語の終盤において、彼は命の恩人であるこの大石という男と再会する。その場所は鹿児島の鹿屋基地、つまり特攻隊が旅立つ場所だった。何の因果か、宮部と大石は、同じ日に同じ特攻部隊として出撃することになる。そして出発を目前に控えたとき、宮部は自分が乗る零戦のエンジン音の違和感に気付いてしまう。もしこのまま飛び立ってエンジン不調であることが発覚すれば、どこかに不時着し、自分だけは特攻任務を免れることができる。生き残ることができるのだ。それはまさに、極限状況の中で天から垂らされた一本の蜘蛛の糸だった。家族との再会を誓って過酷な戦場を生き抜いてきた宮部に、その糸は一体どれだけ輝いて見えたことだろう。しかし宮部は、何かを決意した表情で、大石のもとに向かう。そして「飛行機を換わってくれませんか」と頼むのである。大石はその意図を測りかねつつも了承する。そして飛び立ってしばらくしたとき、果たしてエンジンの不調により大石機は部隊を離れ、不時着する。そして彼は飛行機の中に一枚の紙が挟まれているのを見つける。そこには「もし大石少尉がこの戦争を運良く生き残ったら、私の家族の力になってあげてほしい」というメッセージが書かれていた。そこで初めて大石は、宮部が最後の最後に生き残りのクジを自分に譲ってくれたことを知るのである。

『まどか☆マギカ』の鹿目まどかにも、実は命の恩人が存在し、それが曉美ほむらなのである。ほむらの魔法は時間操作の特性があり、まどかが魔法少女となって後悔と絶望の中で死んでいく結末を彼女は一度見ており、それに耐えられずに時間を巻き戻していたということが発覚する。けれども時間を何度巻き戻しても、心優しいまどかは魔法少女になってしまい、やはり悲惨な結末を迎えてしまう。だがほむらは諦めることなく、まどかが魔法少女の夢を諦めて普通の人間として笑って過ごせるような、そんな未来にたどり着くまで何度も何度も世界をやり直している。それが最終話直前で明かされる物語の真実だった。そもそも、ほむらがそこまでまどかのために頑張るのは、1回目の世界で、既に魔法少女となっていたまどかがほむらを魔女から救ったのがきっかけだった。まどかはほむらにとっての命の恩人でもあるとともに、内気で誰とも溶け込めなかった彼女にできた、たった一人の友達であった。そんなまどかの笑顔のためだからこそ、ほむらは自らの魂を削って魔法を使い、時間を巻き戻すのだ。巻き戻った世界では、まどかは前の世界のほむらとの思い出を覚えていない。世界を繰り返せば繰り返すほど、まどかとほむらの距離は広がっていく。やがてほむらの魔力と精神が疲弊し、もうこれ以上の繰り返しはできなくなってしまった最後の世界がアニメの第一話から描かれていた世界であり、その世界ではまどかは魔法少女にならない選択をどうにか貫いていた。ところが、最終話において、とうとうまどかは魔法少女になってしまう。だがこれまでの世界と違うのは、まどかが古今東西のあらゆる魔法少女の運命と悲劇を知った上で、それらを全て我が身一つで引き受ける覚悟を持って、魔法少女の契約を交わしたということである。巴マミが死んだとき「私は弱い人間です」と泣いていた少女が、どうしてこれほどの決意を持ちえたのか。作中では明確に説明されないものの、それはやはり「ほむらを救うため」であったと、僕は考える。たとえ記憶がリセットされても、繰り返される因果の中で、ほむらが自分のために費やしてくれた時間の重さを、まどかは心の奥底で感じ取っていたのではないだろうか。だからこそ、まどかは最後に、自分の存在そのものを対価にして、ほむらを含む全ての魔法少女を救済する魔法を発動し、その運命に殉じたのである。

こうしてみると両作品とも、自己犠牲の精神を一度は完全否定し、「自らの命こそが一番大事である」ということを再確認させるにもかかわらず、物語の最終局面においてそれを覆し、主人公がそれまで固守していた信念に対して180度矛盾した行動に出る、という点で、見事なまでに一致しているように思われる。そしてその最後の一歩を踏み出させるきっかけが、主人公にとっての「命の恩人」である、という点までもが類似しているというのは大変に興味深い。そこにはどのような必然性があるのだろうか。そして両方の主人公に共通する心情の流れは、どのように解釈すべきなのだろうか。次章では、社会における自己犠牲的な行為が帯びる性質について、「全体主義」と「個人主義」という二つの価値観に焦点を当てて論じてみたい。




(3)個人主義と全体主義

「アメリカは個人主義の国だ」とよく言われる。日本社会がどちらかというと「集団あっての個人」という思想のもとで周囲に常に配慮する文化を育んできた、つまり全体主義的であるのに対して、アメリカは個人という概念が非常に強固であるとされる。やや極端な例を出すならば、英語で「過労死」をどのように表現するかというと、答えは“karoshi”である。オックスフォード英語辞典にも載っている正式な単語だ。スシやテンプラと同様、カロウシもまた日本にしかない概念としてそのまま訳されてしまったのである。まるで英語圏の人々のこんな声が聞こえてくるかのようだ。「あくまで個人あっての会社であり、人は自分が生きるために働くのに、その労働のために命を落とすなどということは普通では考えられない」と。もちろん日本人であってもさすがに過労死が正常だと思っている人は少ないだろうし、欧米人にも仕事熱心が過ぎて健康を害してしまう人もいるだろう。しかし「過労死」という概念が一つの言葉として存在するかどうかの差は大きい。日本社会にはどうしても個人を軽視してしまう風潮があるのかもしれない。それに比べると、アメリカでは個人の権利が優先されるというイメージは強い。そして個人というものに対する考えが日米で対照的であるならば、裏を返すと、アメリカ人は会社や国家といった集団に対しては淡泊だということになる。

だが、本当にそうだろうか。個人的な経験になるが、数年前の春にフロリダ州のマイアミを旅行したとき、Bayfront Parkに面する街の一角に、とてつもなく大きな星条旗が掲げられており、青空を背景に悠々とはためいていた。その光景は何というのだろうか、アメリカ国民の気概のようなものを象徴しているように感じた。まるで「ここは俺たちの国だ!俺たちのアメリカ合衆国はこんなに素晴らしい国なんだ!」という、自信に満ちた声が聞こえてくるような気がしたのだ。実際、僕が高校生の頃に米国に短期留学した際、ホームステイ先の家族やその友人らと様々なことについて話したが、彼らは概して自分の国に対して誇りを持っているということが伝わってきた。むしろ日本人である僕のほうが、日本という国に対して何も知らないし何も考えていないではないかと痛感し、何だか情けない思いをした。それは僕が特別そうだったというわけではないと思う。海外留学やホームステイ関連で同じような話は巷に溢れているし、むしろ典型的な体験談だと言っていいだろう。だが、そのほうがかえって問題である。つまり日本人はよくアメリカのことを「個人主義、個人主義」と言うけれども、そのアメリカ人は日本人よりもよほど国家のことを普段から大切に思っているではないか、という話になる。その点に関する疑問は、米国留学を終えてからずっと僕の中で未解決のまま、いつしか頭の隅に追いやってしまっていた。

だから『永遠の0』でまさに同じような事柄が書かれているのを見て、僕はハッとしたのである。作中では日本軍の兵士の多くが、「アメリカは個人主義の国だから、自分の身を挺してまで国家のために戦おうとする者はおらず、全体の勝利のためなら死すら厭わぬ日本の軍人が負けるはずがない」という固定観念を持っているのが描かれている。ところがその後、1942年のミッドウェー海戦で日本は大敗を喫し、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻、すなわち当時持っていた主要空母のほとんどを失ってしまった。この海戦において有名な「運命の五分間」というエピソードがある。この戦いの敗因は大雑把に述べるならば、日本側が戦闘機の兵装交換を終えるより早く米軍機が襲来してしまい、一方的に空母が爆撃されてしまったことだった。それ故に、もしも日本側の換装があと5分早く終わっていれば、空母から攻撃隊が出撃でき勝利していた可能性が高かった、という説があるのだ。しかし、この「運命の五分間」説は現在は否定されている。作品内でこの海戦の生き残りとして当時を語る伊藤という男も、その説の矛盾を指摘する。そもそも換装終了までは5分よりもっと長い時間がかかっていただろうし、何より日本軍は、やろうと思えば換装にこだわらずにさっさと発進するという選択肢もあったはずだ、と言うのである。それをやらなかったのは、「アメリカ兵が危険を顧みずに早期に攻撃を仕掛けてくることはないだろう」という慢心があったからであり、決して運やタイミングの問題ではなかったのだ、と。アメリカ軍は日本の空母部隊を発見したとき、とにかく一刻も早く攻撃しようと、戦闘機の配備が間に合わなかったにも関わらず、準備の整った雷撃機から順次送り込んでいったという。それらの雷撃隊には護衛戦闘機を付けることができず、それは自殺行為に等しい出撃だった。にも関わらず、彼らは勇猛に出撃したのである。その事実を踏まえて、伊藤はこう語る。

「国のために命を捨てるのは、日本人だけではありません。我々は天皇陛下のためという大義名分がありました。しかしアメリカ人は大統領のために命は捨てられないでしょう。では彼らは何のために戦ったのか。それは真に国のためだったということではないでしょうか。」

「そして実は我々日本人もまた、天皇陛下のために命を懸けて戦ったのではありません。それはやはり愛国の精神なのです。」

個人的には『永遠の0』の全編を通して最も印象的なセリフだったため、映画版ではカットされてしまったのが残念だった。しかし少なくとも小説を読んでいてこの文章が目に入ったとき、僕は数年来の疑問が解けるのではないかと直感した。日本人もアメリカ人も、結局同じような思いで戦っていたのだ。アメリカが個人主義の国だから全体主義的思想が無いと考えるのは大きな間違いだった。すなわち「個人主義と全体主義が完全に真逆の概念であり、二律背反である」という思い込み自体に誤りがあったのではないかと気付かされたのである。正確に言うと、個人主義vs全体主義という構図では、アメリカ国民の精神性をうまく捉えることができないということだ。アメリカが個人主義の国というのは確かに的を射ている。しかしその個人主義の延長上にいわゆる全体主義さえも含んでしまう、そういう広い意味での個人主義なのだ。それはわかりやすく言うと、まず「自分自身を守る」から始まり、対象が少し広がって「自分の家族を守る」となり、やがては「自分の国を守る」まで波及していく、つまり自分自身を愛することと自分の国を愛することが同じベクトルを持っているということである【 図2参照 】。ただし、これを成り立たせる一つの重要な条件は、その国家が「自分たちのものだ」という強い意識が国民に根付いていることであるが、アメリカ合衆国がその素質を有していることは、その建国の歴史を見れば十分にうなずける。イギリスの名誉革命、あるいはフランス革命のように、そもそもヨーロッパには絶対王政からの脱却を市民自らの手によって成し遂げようという強い土壌が形成されていた。その近代ヨーロッパ精神を受け継いだ移民たちが、最初は英国の植民地だったところから独立戦争に勝利し、とうとう自分たちの国を築き上げたのである。建国後もその領土を西へ西へと開拓していかなければならなかったが、彼らはいわゆるフロンティア精神でそれを見事に成し遂げた。どんな物にも言えることだが、人間は自分が苦労して作り上げたものほど愛着が湧くものだ。それは国であっても同じだと思う。青空にはためくあの大きな星条旗は、ある日いきなり天から降ってきたものではない。国民が、国民の手によって戦い抜き、勝ち取ったものなのだという強い誇りが、あの旗をいっそう雄大に見せているように思う。

図2


ところが、日本という国家の歴史は、アメリカのそれとは全く性質を異にする。建国記念の日(2月11日)は初代神武天皇が即位した日とされているが、その肝心の神武天皇の実在性は定かではない。本当は誰がどうやって建国したのかよくわからないまま、いつのまにか天皇家がいて、いつのまにか国ができていた、それが日本である。その体制に対する大きな反乱が起こることもなく、実質的な最高権力者が出現してもあくまで征夷大将軍という肩書きに甘んじ、形式上は天皇がトップであり続けた。近代国家へと生まれ変わるときに明治維新を経験したが、それは欧米のような市民主体の革命とは違い、政治的な慧眼のあった一部の者たちが新政府を立ち上げ、民衆はそれを黙々と受け入れたというのが実情で、国家体制としてもむしろ天皇と臣民という関係性をより明確にする方向にシフトした。きわめつけは戦後の民主主義で、それを国民自身の手で勝ち取るどころか支配者側のGHQが「こうしなさいよ」と言うからこうしたとでも言わんばかりの態度で受け入れ、日本国憲法に至ってはGHQが書いた草案をそのまま導入し、70年近く経った今もなお全く変えることなく使っているという有り様である(もちろん憲法改正の必要がないほど元々の完成度が高かったというのも一面の真実であろうが)。アメリカの建国史を見たあとでこの日本の歴史を振り返ってみると、どうしてこれで国が成り立っているのか不思議なくらい、どの時代においても民衆が国政に無関心なのである。だがそれは一概に悪いとは言えず、表現を変えれば寛容ということでもある。日本には古来から、為政者と民衆との間に目に見えない信頼関係が存在していたようにも思われる。日本の長い歴史の中では、善政を敷く為政者が全体的に多かったのかもしれない。そういった上に立つ者のことを信頼しているからこそ、彼らに国政を全面的にゆだね、民衆に多少の不利益が生じても「お上にも何か考えがあるのだろう」と粛々と従うという、いわゆる「お上思想」の体制が育まれていったのではないだろうか。為政者が私欲に走らない徳の高い人物であることが不可欠であるが、その条件さえ満たせばこれほど理想的な政治形態は無い。この体制を少なくとも千年以上かけて醸成させてきた日本という国は、為政者の人格に極めて恵まれていたと言えるし、日本人はそのことを誇りに感じても良いと思う。だが、そういった体制下では一般国民の心の中に「自分たちで作った国だ」という意識がほとんど芽生えなくなってしまうのが、ここでは問題となる。

日本人であっても、自分の命は大切だ。日本の個人主義もまた「自分自身を守る」から始まり、「自分の家族を守る」まで容易に拡張可能だろう。ところが、その後が続かないのである。自分たちにとって国家とはいつのまにか自然に存在したもの、あるいはどこかの誰かが知らないうちに与えてくれて舵を取ってくれているものであり、「自分たちが作り上げた国」などという発想はひねり出そうとしても出てこない。すなわち日本人にとって、国家とは自分のものではなく、完全に他者側の存在なのだ。それ故に、人間が普遍的に持っている「自分 vs 他者」という構図から、「個人主義 vs 全体主義」が演繹的に導かれてしまう。つまり日本人にとって、個人と全体は対極にあり、個人を重視するということは全体を軽視することで、全体を生かすということは個人を殺すということになってしまうのである。アメリカのように個人主義と全体主義を同じ側に置けば、個人の重みがそのまま全体の尊重へとつながり、国家を維持する原動力となる。ところが、日本人は個人主義と全体主義をあろうことか対極に配置したシーソーの上で生きているのである。これは考えてみればかなり特殊な状況である。というのも、通常の人間であれば「自分が一番大事」というのは言うまでもないことで、「個人主義 vs 全体主義」のシーソーはどう考えても個人のほうに傾き、誰も全体のことを省みなくなる。そんな状態では国家どころか、いかなる集団であってもすぐに崩壊してしまうだろう。ところが、日本人はその明らかに釣り合わないシーソーを、千年以上にわたって使い続けてきたのである。しかも一体全体どんな魔法を使ったのか、そのシーソーは個人側に傾くことなく絶妙なバランスを保っており、日本という国は崩壊するどころかむしろ世界で最も長い歴史を持つ老舗国家になってしまったのだ。アメリカをはじめ諸外国の人から見れば、全くもって不可思議な現象だろう。しかも当の日本人はそれが奇跡的なことだと指摘されてもピンと来ず、まるで至極当然であるかのように感じて生きているのである。

だが実際、それは奇跡でもないし、魔法でもない。その一見不可能なシーソーを実現させているのは、日本文化に深く根付いている道徳の力だ。その道徳が一体どういうものであるかは、我々の耳に馴染みのある次のような言葉によく表れている。すなわち「自分より相手を先に」や、「自分に厳しく、他人に優しく」といった文言である。もちろん、これらを日常生活のあらゆる局面において実践できているという人は極少数だろう。それこそ聖人でもなければ常日頃からそんな態度を徹底することは難しい。しかし、そういう人が「聖人」つまり人間の理想像である、という認識があること自体が、その道徳観が浸透している何よりの証拠ではないだろうか。聖人のようにはいかなくても、我々は自分のできる範囲で「自分より他人を優先する」ことを美しいと思う価値観の中で生きている。それは、言うなれば「自分 vs 他者」のシーソーを自分側に傾きすぎないように調整する力である。そしてその力は、国家レベルでは「個人主義 vs 全体主義」のシーソーにさえも働きかけ、通常では釣り合うはずのないそのバランスを保たせる。これこそが、日本という国を長きにわたって維持してきた“魔法”の正体ではないかと僕は考える。自分を愛し、その「自分」の中に国さえ含むことができるアメリカ人と違って、日本人は国家をどうしても他者のような存在として捉えてしまう。しかし、「むしろ他者だからこそ大切にしなければならない」と考えるのが日本人なのである。アメリカ人の思考とは全く別の道筋をたどりながらも、真逆と真逆が掛け合わさって、最終的には見事に愛国心を生み出すメカニズムになっている。これはまさしく民族心理の妙とでも表現すべき、実に興味深い現象であると言えるだろう。

このように、日本人たちは独特の「個人主義 vs 全体主義」のシーソーを、独特なバランスで維持することによって国を繁栄させてきた。だが実はそのシーソーは、均衡を失った途端にとてつもない規模の悲劇を引き起こすシステムでもあるということを、我々は自覚しておかなければならない。そしてその事態が実際に生じてしまった例こそが、70年前の太平洋戦争だったのではないか。「自分より他人を先に」という本来美しい価値観であるはずのものが、どんどん重みを増して制御できなくなり、いつしか「自分を犠牲にして国を守ることが絶対の義務である」という強迫観念へと変性してしまった。国家そのものが全体主義に大きく傾き、個人の命や権利はそれに反比例するように軽くなっていく。やがて個人vs全体の天秤が完全に全体側に振り切れ、個人の命の重みがゼロ同然のものとなったとき、果たして本当にそれが全体を守ることにつながるのかという合理的思考さえも消滅し、ただただ個人の命を捨てること自体が目的であるかのように自己犠牲行為が推進されていく。それが特攻という作戦の真相だったのではないか。どんな国であれ戦争という状況になれば全体主義が過熱するものだが、それによってここまで個人を貶めるというのは、個人主義vs全体主義のシーソーを持つ日本ならではの現象であると言えるし、そういった日本特有の精神が、考えうる中で最悪の方向に発現してしまった例だと解釈するべきだろう。

もっとも、そういったことは現代日本で歴史教育を受けた者ならば誰しもが、漠然とではあるかもしれないが感じていることだろう。「我々の国は太平洋戦争で大きな間違いを犯してしまった」、「あのような戦争は二度と起こしてはならない」、戦後の世代は何度もそう聞かされて育ってきたし、実際に多くの人がそう思っているはずだ。だがそれ故に、あの戦争は日本という国にとって大きなタブーのように扱われてきた。それは考えてみれば当然のことで、一人の人間であっても過去の失敗というのは思い出して気分の良いものでは決してない。試験問題で自分自身が間違えた部分を復習することほど嫌なものはない。だが、その復習をきちんとしない限り成績はいつまでたっても良くならないということは、学生時代に誰もが痛感したことのある真理だろう。僕には、今の日本という国が、試験で間違えた問題をよく分析しようともせずに、ただ「試験で間違えた」という事実そのものを完全悪のように捉え、「自分は劣っている」という自己暗示をかけるばかりで、結局一歩も前に進むことができないままの人のように見える。日本国民が過去に失敗したと本気で感じているなら、それをタブー扱いにせず、本気で分析しなくてはならない。中途半端な反省、漠然とした反省はかえって物事の本質を見失わせる。ただひたすら呪文のように「戦争反対、戦争反対」と唱えるだけでは、日本の進むべき道が見えるどころか、四方の視界が全て奪われた闇の中に自ら迷い込みに行くようなものである。

では今からおよそ70年前、わが国が犯した過ちの本質とは何だったのか。「戦争をしたこと」だろうか。「戦争に負けたこと」だろうか。どちらも違う。もちろん戦争そのものは決して良いことではない。それは戦敗国はもちろん戦勝国においても、多くの罪なき人の命を奪う行為である。人道的に肯定できるものではないことは明らかであり、そういった観点から現代国際法においても侵略戦争は禁止されている。だが一方で、伝統的国際法では戦争は国家の持つ権利であるとされてきたし、現在でも自衛をはじめとする秩序維持のための戦争は国際法上でも認められている。無論、その制約が完璧に遵守されているかというと世界情勢を見るかぎりとても首を縦にふれるものではないが、論点はそこではなく、戦争にも一定の合法的側面があるということである。戦争とはあくまで国家間の交渉の手段の一つであり、それは最終手段ではあるが、完全に否定されるべきものではない。その奥の手に頼ることなく国際問題を処理するのが政治の理想であることは言うまでもないが、現実においてそれがいかに達成困難であるかは、古代から続く人類の歴史が今なお現在進行形で物語っている通りである。だからこそ「戦争をしたから日本は悪い」という短絡的な発想は、もはや一種の思考放棄に近い。もし他国の戦争に一片の正当性があったなら、日本の戦争にもまた同じように正しさがあった。もし日本の戦争が罪だったというのなら、世界史上のあらゆる戦争にも同じ重さの罪がある。それは人類全体が共有している問題点あり課題なのであって、日本という一つの国の内側で生じた精神文化的な悲劇とは無関係ではないが、あくまで別個のものである。戦争という概念そのものへの批判をそのまま当時の日本に対する批判に仕立てあげようとするのは、論点のすり替えに他ならない。戦争を始めたことも、戦争に負けたことも、あくまで付属的な事象でしかない。70年前の日本が本当の意味で間違ってしまったこと、国家としての道を決定的に踏み外してしまったことがあるとすれば、それは「個人主義vs全体主義の天秤を大きく傾けてしまった」という、その一点に尽きると僕は考える。

先の大戦をそのように解釈したとき、その構図の中には日本人が直面しうるもう一つの悲劇が示唆されていることに気付かされる。すなわち“天秤は左右どちらにも傾きうる”という、子どもでも知っている理屈である。前述したように個人vs全体の天秤は、釣り合いが保たれてこそ国家の秩序を維持しうるシステムである。それが全体主義に傾倒することであれほどの悲劇が呼び起こされるのなら、反対側の個人主義に傾きすぎた場合もまた、それに匹敵するほどの国難が生じてしまうと考えるのが道理ではないだろうか。「自分の命が大切である」という人間が基本的に持っている個人感情が過剰に尊重され、国や社会といったものの価値がどんどん軽くなる。やがて誰もが自分に関する損得勘定でしか行動しない利己主義に支配され、他者や国家のためにわざわざ時間を割くことは損であると考える。愛国の概念そのものが害悪であり、自らの幸福を犠牲にする狂信的な行為だとして遠ざける。国民全体がそうなった社会がどのような運命をたどるかは、あえて書くまでもないだろう。短期的で視野の狭い損得勘定は、結局はかえって大きな損失を生みだすのである。そんなことは現代人なら皆わかっていて、そんな極端な社会になるはずがない、と思うだろうか。僕にはそうは思えない。日本人の同調圧力には凄まじいものがある。天秤がひとたびバランスを失ったとき何が起こったか、我々はそれをさんざん聞かされてきたではないか。どうしてそれがもう一度起こらないと安心できるだろうか。70年前の教訓から学べ学べとメディアは言うが、本当に学ぶべきは「戦争の怖さ」ではなく「天秤が傾くことの怖さ」である。

ところがその教訓むなしく、現在その天秤は今度は個人主義側に傾きつつあるのではないだろうか。戦時中に全体主義側に振り切れてしまった天秤は終戦によってリセットされ、GHQ主導の戦後民主主義のもとで、日本人は国家を再出発させた。空襲で焼け野原にされたにもかかわらず、日本の戦後復興、そしてそこからの高度経済成長はめざましいものだった。海外諸国を驚かせたその発展の影には、少なからず日本古来の「自分より他人を先に」の精神があったのではないだろうか。それは戦争という特殊な状況下で暴走してしまい、敗戦により街ごと燃やし尽くされたはずのものだった。だが日本という国の全てが否定されてしまったかのような絶望感の中にあってさえ、その精神は再び日本人の心の中に芽吹いた。一度は破綻してしまった天秤が、本来の形へと戻り、戦後の人々の支柱となってくれたのである。ところが、話はそう綺麗には終わらない。戦後民主主義とともにGHQが蒔いた思想の種もまた、少しずつ発芽していくのである。そもそもGHQの目的は端的に言えば「日本というアジアの脅威を解体すること」だった。具体的には彼らの政策は、日本の軍事的要素を廃し、親米的な国家に作り変えるという方針のもとに進められた。それは日本人の国民精神に対して二方向から力を加えることになったと考えられる。一つ目は、墨塗り教科書に代表されるような軍国主義の完全否定である。たしかに戦時日本の軍国主義は暴走してしまっていたが、その中には国家にとってある程度必要な全体主義としての要素も含まれていた。だが、GHQにはそこまで配慮する余裕はなかっただろうし、何より墨塗り教科書を目にした子どもたちにとっては軍国主義も全体主義も似たようなものであり、それらをまとめて「悪いことだったのだ」と認識するのはむしろ当然の帰結だっただろう。二つ目は、GHQの中心国であるアメリカの個人主義の、日本国民への布教である。これは一つ目よりは緩慢に、しかし米国の文化の浸透とともに確実に進んでいった。いや、今もなお現在進行形で進んでいると言っていい。つまり、全体主義を否定する力と個人主義を尊重する力、ご丁寧にその両方ともが天秤に加わっているのである。そこにつけてさらに日本人自身の心の中にも「全体主義のほうに傾きすぎて辛い経験をした」という負い目がある。目の前にある天秤が過去に一度右に傾きすぎて大きな災いを引き起こしたことがあると知らされたら、誰だって右側に力を加えることをためらうだろう。左右の問題ではなくバランスを平行に保つことが肝心なのだとたとえ頭の中で理解していても、どうしても右よりは左に傾いていた方がまだ安心だと錯覚してしまう。そういう心理作用も相まって、日本人は知らず知らずのうちに個人主義vs全体主義の天秤を、今度は戦時中とは逆の方向に回転させる社会風潮の中に立たされてしまっているのである。

特にバブル期以降に顕著になったいわゆる拝金主義や、いたるところで叫ばれる現代日本人のモラルの低下といった問題も、そういった天秤の傾きの兆候であるように思われる。前述したように日本においては、個人主義vs全体主義の天秤は、自分vs他者の天秤と連動しているのである。昨今の選挙においては若者の投票率の低下が指摘されているように、現代では国家そのものに対する意識も希薄になり、仮に意識したとしても結局はマイナスのイメージを拭うことが出来ないでいるという有様だ。その証拠に、我々は「愛国心」という言葉を聞くとどうしても身構えてしまう。中にはそういった類の単語を条件反射のように戦争に結びつけて完全否定する人さえいる。もちろん国民の全員に対して愛国心を強制するような事態になればそれは異常だが、自国を愛していると言うことに誰もが負い目を感じてしまうような国家の状態もまた決して正常とは言えるものではない。だが、アメリカが流布させた「個人主義」教を信じる日本人にとっては、全体主義は問答無用で憎悪すべき敵なのである。ところが当のアメリカ人たちは誰も全体主義を憎んでなどいない。それどころか彼ら自身の国家を愛し、誇りを持っている。なぜなら彼らにとっては個人の延長に家族があり、国家があるからだ。アメリカの個人主義は決して「自分さえ良ければいい」という偏狭な価値観ではなく、むしろ自分を起点として他者や国家さえも尊重するという、そういう広い意味での個人主義なのだ。にも関わらず、日本人はその「個人主義」の表面だけ、字面だけを輸入して、それを自分たちが元々持っていた個人vs全体の天秤に無理に当てはめてしまったばっかりに、結果として「全体主義を否定して個人主義を肯定することが正義である」というとんでもない思想を導き出してしまった。それは当然のごとく社会の歪みを生じさせる。全体を生かすことは個人を生かすことでもあるという想像を働かせることができず、私利私欲に走る政治家が増え、大衆も大衆で傍若無人のふるまいをし、即物的な生き方が横行して、平気な顔で他人に迷惑をかける者さえ出てくる。一方で変なところにだけは全体主義が残され、ブラック企業や過労死のような社会現象が発生し、深刻な問題となる。「アメリカが個人主義だから」を免罪符にして都合の良いところだけ個人主義化していった結果、日本という国は結局、個人も全体も殺すような理不尽な社会になってしまったのではないだろうか。

「邯鄲学歩」という言葉がある。邯鄲とは趙という国の都であり、ある日その邯鄲にやってきた田舎の若者が、都会人のおしゃれな歩き方を真似しようとして失敗し、帰郷する頃には元々の自分の歩き方すら忘れてしまい、這いつくばって帰ったという故事である。現代の日本人は、まさしくその若者と同じ失敗を犯しているのではないだろうか。しかも多くの人がそれが失敗であることに気付かずに、「個人主義こそが正しい」と盲信して天秤をさらに傾けようとしている。「戦争をしていた70年前は異常で、平和になった現代は正常なのだ」と信じて疑わない。実際はどちらも異常なのだ。個人を殺しすぎて全体を殺すか、全体を殺しすぎて個人を殺すか、ただそれだけの違いでしかない。むしろ70年前は戦争という大きな出来事が発生して、敗戦により皆がその異常性に気付くことができたという点で、ある意味では幸運だった。ところが現代は、もし天秤が個人主義側に傾きすぎて制御が効かなくなったとしても、表面上は大事件は起こらない。だが水面下では秩序は徐々に失われ、国家は着実に崩壊していくだろう。日本国民が現状の異常性に気付かずにこのまま何もしなければ、太平洋戦争の時と同様に天秤は振り切れて元に戻らなくなり、そしてあの頃とは対照的に、日本という国はただ静かに滅びの道を歩んでいくことになるのではないだろうか。

その未来を回避するためには、原理上は二つしか方法がない。一つは個人主義vs全体主義の天秤そのものを捨て去ることである。そうすればアメリカの個人主義を本当の意味で根付かせることが可能となり、日本はその左右どちらかに傾けば悲劇を招くという面倒極まりないシステムから解放されることになる。だが実際は、国民性というものはそうそう容易に変えられるものではない。日本人全員が日本列島から脱出してどこかの無人島に流れ着き、そこを一から開拓して新しい国を建てるというなら話は別だが、そうでもしないかぎり日本人には「自分たちで国を作った」という意識は生まれず、個人と国家を同じ側のものとして捉えることは難しい。そもそも日本人の精神文化を根本からアメリカ式に変革することができるのであれば、他ならぬ戦後のGHQがそれを成し遂げていただろうし、実際に彼らの政策には少なからずその意図があったように思われる。にも関わらず、日本人に天秤を捨てさせることは結局できなかった。一度は壊れてしまって多くの悲劇を招いたはずの天秤を、あろうことか日本人は元の形に修理して再び大事に使い始めたのだ。僕には、それが日本という国が持ち続けるべき意地なのだという気がするのである。老舗国家には老舗国家のやり方がある。常にバランスを取り続けなくてはいけない七面倒くさい天秤であっても、それはもはや日本のアイデンティティなのだ。ならば現代の日本人も、開き直ってそれを受け継ぐ気概を見せるくらいのほうがずっといい。捨てるという短絡的な選択肢では、結局はどこかにさらなる歪みを生む可能性が高いのだ。ならば我々は、天秤を捨てるのではなく天秤とうまく付き合っていく手段を模索すべきである。

すなわち残されたもう一つの方法にして、唯一の現実的な方法は、「傾きかけた天秤をどうにかして再び均衡の取れた状態に戻すこと」である。だが口で言うのはともかく、具体的にどうすれば良いかと考えるとそれもまた容易なことではない。特に今の日本は個人主義側に傾いており、この個人主義というのは現代の機械的かつ合理的な社会とは非常に相性が良い。もともと誰もが自分が大切だという心を持っているし、個人の権利は法の下で保障されている。そもそも個人と全体ではどう考えても個人のほうの重みが勝っていて釣り合いが取れないからこそ、日本の天秤は独特で奇跡的な存在だったのである。ところが今や、その天秤を維持してきた魔法そのものが失われてきている。「自分より他人を先に」という発想には非論理性が際立つようになってしまった。まさに本物の魔法と同じように、それは現代の合理主義の光によって幻想の烙印を押され、人々はその実在を誰も信じなくなっていく。この状態でうかつに全体主義の必要性を叫ぼうものなら、それこそ魔女狩りにでも遭ってしまうかもしれない、というのは言い過ぎだが、「他の何かのために自分を犠牲にするなんておかしい」という声は聞こえてきそうだし、その声に対して論理的に反駁できる人間など存在しない。その理屈は間違いなく正しい。自己犠牲行為に対する尊敬はある種のまやかしに過ぎないのだ。けれども、それで本当に良いのだろうか。自分の身を挺して誰かを救うことは本当に空虚なのだろうか。その疑問を拠点にして、物語の最後の最後に個人主義社会に対して反旗を翻した作品こそが、『永遠の0』そして『魔法少女まどか☆マギカ』なのではないかと思う。

両作品の作者がそれを直接意図してシナリオを組んだかどうかはわからない。だが、戦後70年が経とうとしているこの同じ時代に、同じ構造を持った作品が現れ、それが双方とも日本の大衆に受け入れられてヒットしたことは、決して偶然ではないはずだ。天秤が個人主義側に傾きすぎた時に、国は静かに滅びていく。だが日本人の意識の奥底には何らかの違和感が芽生え、その危機を事前に察知したのではないか。偏狭な個人主義が蔓延しつつある今、まさにこれらの作品が世に出現したことは、「このままではいけない」「何かが間違っている」という大衆の無意識下の呼びかけに応えたものであるように思えてならない。そしてその作品は、正義感に溢れた主人公が、まるでそれが当然であるかのごとく自分の身を犠牲にして皆を守るというような話であってはならない。全体主義的な行動が最初から無条件に正当なものとされているような作品では、個人主義によって合理化された現代人の心には決して届かないのである。すなわち主人公は、自分の命が一番大切であるという信念を持ち、冷静で理知的な思考によって物事を見据え、自己犠牲に対する漠然とした憧れや幻想を正面から打ち砕いてしまうような、そういった存在でなくてはならない。その上で、現代社会に生きる視聴者から見て十二分に共感できるようなその人物が、その個人主義的な信条をずっと貫いたにもかかわらず、最後にはその信念を否定して自分の身を犠牲に誰かを守る、という奇跡のような瞬間を、我々現代日本人は見たかったのだ。この世に絶望を振りまいたパンドラの箱の底に“希望”が残っていたように、あるいはウィトゲンシュタインが世界を論理的に記述し尽くした書物の最後にそれら全てを凌駕する“語り得ぬもの”の存在を示唆してみせたように、現代人が個人主義を徹底した果てにもそれを覆す強い力が残されているのだということを、我々は心の奥底で期待しているのである。『永遠の0』や『魔法少女まどか☆マギカ』を見て深い感動を覚えた人々は、心のどこかでその力を確信することができたのではないだろうか。それは個人主義側に傾きすぎてしまった天秤を水平に戻そうとする力に他ならないのである。

では、その天秤を元に戻す強い力の正体とは一体何なのだろうか。両作品を通じて我々が読み取らなければならない最大のポイントはそこだろう。個人主義の理屈に支配された世の中にあってさえ自己犠牲を肯定する何かが、これらの作品の中に隠されているはずである。それを見つけ出すためには、そもそも日本古来より天秤の均衡を保ってきた力である「自分より他人を先に」の思想を、もう一度振り返ってみる必要があるように思う。日本人にとってそれは思想と呼ぶことすら憚られるほどのごく当たり前のことだが、明治時代に開国したばかりの日本にやってきた外国人の目には、それは大変奇異なものに映ったようだ。欧米にはキリスト教という強固な宗教的基盤があり、子ども達は教会で聖書に触れることで倫理観を学んでいく。ところが日本には明確な宗教教育があるようにはとても見えないのに、一体全体どうやって社会道徳を身につけているのか。当時、外国人教育者からこういった質問を受けた新渡戸稲造は、その場でうまく答えることができずに困り果ててしまったという。しかしその後、日本固有の精神体系をどのように説明すればいいか、あれこれ考えた末にたどりついた答えが「武士道」という概念だった。僕は、その武士道こそが過去の日本人の天秤を維持してきた魔法の名としてふさわしいように思う。そして明治、大正を経て昭和の戦前から戦後、そして現代の平成に至るまでの日本の精神史を考察するにあたっても、武士道という価値観は常にその本質に深く関わる存在であると考える。次の章では、この武士道という言葉に焦点を当てた上で、いよいよ『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の両作品が共有する普遍的なテーマへと迫り、その全貌を解き明かすことにしたい。




(4)武士道の崩壊と再構築

武士道という言葉は、日本で生まれ育った人にとってはどこかで一度くらいは聞き覚えのある単語ではないかと思う。だが、それが具体的にどういう思想であるかをすらすら説明できる人はおそらくほとんどいないだろう。それは現代人が武士道という価値観を忘れてしまったからではなく、百年前の新渡戸稲造の時代でもそうであったし、もっと言えば武士の世の全盛期であった江戸時代でさえ、きっと似たような状況だったと思われる。それは何故かというと、武士道とは基本的に不文律だったからである。それは数百年の武士の歴史の中で自然に醸成され、人々の行動様式の中にいつのまにか浸透していたものであって、キリスト教のように一人の預言者の言動がすべての基準になっているわけでもなければ、それを体系的にまとめた書物というのも存在しなかった。だからこそ新渡戸稲造は海外の人にわかりやすいように『武士道』を著したわけだが、それも結局はあくまで海外向けに英文で書かれた代物なのである。新渡戸稲造は『Bushido』を完璧とも言える美しい英語で書きあげたが、その後に出版された日本語版には直接携わっていない。もちろん自身の著作を再度別の言語で書いていくという作業は二度手間で面倒だったというのもあるのかもしれないが、僕には新渡戸稲造は“あえて”日本語で書かなかったように思える。彼は、おそらく武士道の不文律性を崩したくなかったのだ。少なくとも日本人が『武士道』を読んでまるで宗教における聖典であるかのように祭り上げ、この書物自体を武士道の行動基準の中心に据えるようなことは、彼は絶対に望まなかっただろうと断言できる。『武士道』を読んで日本のモラルを取り戻そう!と主張する人をたまに見かけるが、上記の点だけは常に留意しておかなければならない。新渡戸自身も次のように述べている。

「それはむしろ不言不文の語られざる掟、書かれざる掟であったというべきであろう。それだけに武士道は、いっそうサムライの心の肉壁に刻み込まれ、強力な行動規範としての拘束力を持ったのである。」

だが実際問題として武士の世が終わって百数十年が経過した今、「かつて我が国にはこういった価値観があった」と教えてくれる書物の存在は貴重であり、武士道精神に関して体系的に述べられたほぼ唯一の書であるという点から、新渡戸稲造の『武士道』は、現代日本人にとって“教科書ではないが、わかりやすい参考書”という位置で捉えるべき一冊であると思う。ではその参考書の中で、武士道はどのように説明されているかというと、第一章でまず武士道が日本の精神の支柱であることが述べられ、第二章では武士道を生んだ土壌として神道、仏教、儒教の三つが挙げられる。第三章以降は「義」「勇」「仁」「礼」「誠」の五つを武士道の柱であるとして、それぞれの名を冠した章ごとに、その字が示す概念とそれにまつわる有名な武士の逸話が述べられる。その次に「名誉」「忠義」「教育」「克己」の四章があり、続いて「切腹」「刀」「武家の女性」など武家文化の特色が述べられた後、最後に今後の日本社会で武士道が生き続けていくことができるかどうかについて、新渡戸なりの深い洞察と見解が述べられる、という構成である。それら一章一章において、その項目にまつわる日本の武士の逸話のみならず、似たような美意識が海外の聖書やコーラン、ギリシャ神話、古典文学の各所のエピソードにも現れていることを逐一例示しており、新渡戸の教養の広さと深さには心底驚嘆せざるをえない。だが、ここではそれはさておき、論を進めるにあたって「武士道とは一言でいえば結局どういうものなのか」を整理しておきたい。新渡戸自身は「義」こそが武士において最も重要であるとし、五柱の筆頭としてこれを掲げた。あらゆる徳目の中で「義」が武士道の礎石であると述べているのである。では「義」とは何かというと、古代中国の孔子や孟子の時代から「義は人の道なり」として示されてきたことであるが、簡単に言うと「利欲にとらわれず、自らのなすべき事をなす」ということである。そしてその「なすべき事」というのは個人レベルのものではなく、常に他者や社会全体を視野に入れた上で判断される。現代日本語でも「正義」や「義務」といった言葉にその観念は現れているし、他者への配慮に富んだ行動ができる人を「義に厚い」と表現する。要するに自分一人の損得や目先の利益で動くのではなく、長期的に物事を俯瞰し、「世の中全体にとって何が一番良いのか」を考え、実行に移せる人こそが理想の武士とされたのである。そのことを述べるにあたって、新渡戸は真木和泉守という武士の言葉を引用している。

「武士の重んずるところは節義である。節義とは人の体にたとえれば骨に当たる。骨がなければ首も正しく上に載ってはいない。手も動かず、足も立たない。だから人は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。節義さえあれば社交の才など取るに足らないものだ。」

すなわち武士道の根底には、自身の欲望よりも世の中全体を顧みることを美徳とする価値観があり、しかもそれが実際に武士たちの言動に対して並々ならぬ強制力を持っていたのである。それは究極的には他者や社会のために自分の命を犠牲にすることすら厭わないということであり、そういった生き様こそがまさしく武士の憧れであり誇りであったのだ。司馬遼太郎の有名な歴史小説『坂の上の雲』には次のような一説がある。日露戦争において難攻不落の旅順要塞を攻略し英雄と謳われた乃木希典が、陸軍少将時代にパリにおいて新聞記者からの会見を受けた際、「社会主義についてどう思うか」という質問があった。社会主義について当時ほとんど何も知らなかった乃木に対して、通訳者が簡単に説明をした。「平等を愛する主義です。身分も平等、収入も平等の世の中にするということです」と。それを聞いた乃木は大きくうなづいた後、次のように述べたという。

「しかし日本の武士道のほうが優れている。武士道というのは身を殺して仁をなすものである。社会主義は平等を愛するというが、武士道は自分を犠牲にして人を助けるものであるから、社会主義より一段上である。」

質問の趣旨からすると何とも的外れな返答であったため、記者は困惑してしまったという。しかしこの言葉自体には武士道の性質が端的に表現されているように思う。司馬遼太郎は、乃木希典の戦略的能力については実に容赦なく酷評しているが、その人柄については同時代の誰にも劣らぬ武士道的教養人であったことを描いている。「江戸期が三百年かかってつくりあげた倫理を蒸留してその純粋成分でもって自分を教育しあげたような人物」と表現し、「すでに日本でも亡びようとしている武士道の最後の信奉者であった」とまで書いているのである。そのような人物の口から「武士道は自分を犠牲にして人を助けるものである」という言葉が発せられたことは、非常に象徴的であると言える。(司馬遼太郎の作品には脚色も多いためこれがそのまま事実であったかどうかは定かではないが、司馬の歴史資料研究のすさまじさもまた有名であり、乃木大将に関する膨大な量の取材の結果として、このような言葉にたどり着いたことは疑いない事実である。)

つまりは「滅私奉公」という言葉にもあるように、己を殺して集団を生かすという思想こそが武士道の骨格なのである。それは現代で言うところの全体主義そのものだ。日本における「自己 vs 他者」の天秤、ひいては「個人 vs 全体」の天秤の右側の皿には、武士道という巨大な質量が載せられていた。だからこそ天秤は、本来なら明らかに重い存在である自分側や個人側に傾くことなく保たれたのである。あるいはそういった天秤を持っていたからこそ、日本人は武士道を生み出す必要があったとも解釈できる。故に、それは一部の特権階級の人間が背負う義務ではなく、民衆全体に浸透していったのである。新渡戸は、武士道の性質を欧米社会における「ノブレス・オブリージュ(高き身分の者に伴う義務)」に対応させながらも、武士道がそのレベルにとどまらずに国民全般が共有する道徳観念にまで昇華したことを、こう述べている。

「太陽が昇るとき、まず最初にもっとも高い山々の頂きを紅に染め、やがて徐々にその光を中腹から下の谷間に投じていくように、初め武士階級を照らしたこの武士道の道徳体系は、時が経つにつれて、大衆の間に多くの信奉者を引きつけていった。」

武士道は日本人の精神に深く根付き、長きにわたって天秤を維持してきた。だがそれは裏を返せば、武士道を失えば国民全体の危機となりうるということでもある。今から百年以上前の明治時代を生きた日本人たちは、かつてないほどそれを直感したに違いない。封建制が廃止されて武士の世が終わりを告げ、開国によって西洋の科学技術や政治思想が怒濤のように流れ込んでくる。日本古来の文化がその波によって洗い流されていく中で、武士道という価値観もまた風前の灯火であるかのように人々の目には映ったことだろう。新渡戸稲造もまた、1900年前後の日本社会を見渡しながら、もはや武士道という道徳観念が失われつつあることを嘆いている。「悲しいかな武士道! 悲しいかなサムライの誇り! 鉦や陣太鼓の響きとともにこの世に迎え入れられた武士道は“将軍も王も去る”ように、消えゆく運命にあるのだ」と。国民の誰もが海の外から入ってくる新しい文物の魅力に心を躍らせながら、一方では古い武士道的価値観が崩れていくことへの不安も併せ持っていた。それは過渡期を生きた明治人特有の心理状態であったに違いない。ところが、ここからが日本の歴史の面白いところであるが、明治の日本人はその微妙な心理状態を単なる感傷で終わらせることなく、むしろ動的に展開してみせた。すなわち「西洋の優れた技術や文化を学ぶけれども、日本精神の根っこの部分は持ち続けよう」という意識が汎国家的に発動するのである。それは日本という国が古くから、中国という当時世界一の文化大国の絶大な影響を受けながらも、それをうまく消化・吸収することによって自国の文化の糧としてきたという民族的記憶の再現だった。「和魂漢才」を唱えた平安時代から千年を経て、明治の日本人は「和魂洋才」を合言葉に掲げ、世界史上に類を見ない速さで近代化を進める一方であくまで日本精神の根本は死守するという、いわば離れ業をやってのけたのである。文明開化の鐘の音とともに花を枯らせてしまったかと思われた和魂すなわち武士道は、目に見えない部分でその後の日本人の心のよりどころであり続けた。

その一つの表れが、日露戦争における勝利だったのではないかと思う。新渡戸稲造が『武士道』を著した数年後の出来事であるため当然ながら同著の中に記述は無いが、新渡戸はその報を聞いてきっと、日本人が持ち続けた武士道の片鱗を感じたに違いない。では日露戦争で武士道を体現した日本人とは誰だっただろうか。上にも述べた国民的英雄の乃木希典大将だろうか。あるいは軍神と呼ばれた東郷平八郎元帥や、広瀬武夫中佐であろうか。当然彼らにも武士道的精神は根付いていただろうし、その華々しい活躍は尊敬すべきものであることは言うまでもない。しかし、日露戦争を勝利に導いた真の立役者、本当の意味で武士道を発揮した英雄は、他ならぬ「日本国民」全員であった。当時の日本の国家財政を見ればそれは明らかとなる。そもそも日本の経済および産業はまだまだ熟しておらず、列強海軍に肩を並べるような艦隊をもつことは到底不可能だというのが海外の通説であった。ところが日本は日清戦争から日露戦争までのわずか10年間で、実に国家予算の約50%を軍事費が占めるという驚異的な財政バランスによってそれを実現し、何より国民がその状況を見事に耐え抜いた。司馬遼太郎の『坂の上の雲』にも次のように書かれている。

「これだけの重苦しい予算を、さして産業もない国家が組みあげる以上、国民生活はくるしくならざるをえない。この戦争準備の大予算(日露戦争まで続くのだが)そのものが奇蹟であるが、それに耐えた国民のほうがむしろ奇蹟であった。」

つまりは、日本人は飲まず食わずで軍艦を造ったのである。そうして「日本はロシアに敗れるより先に戦時財政によって滅ぶであろう」という海外の予想を大きく裏切り、日本海海戦においてバルチック艦隊と対峙して歴史的な完全勝利をおさめ、日本に有利な形で対ロシア講和条約を結ぶにまで至った。古来より資源も国土も乏しく、米と絹しか主要産業を持たなかったこの小さな島国が、あろうことかヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうと夢を抱き、追い続け、そしてとうとう列強の一角に勝ってみせた。この勝利については歴史学者によって今なお様々な分析がなされている。一つには、やはり明治日本軍の特徴でもあった合理主義的思想が挙げられるだろう。戦場においてはいわゆる精神論や根性論といったものを一切排除し、ただ勝利するための論理を一つひとつ地道に組み上げていく。これはまさに海外諸国から学び取った「洋才」の部分であり、明治人はこれを正しく使いこなしていた。だがその一方で、いくら有能な軍人が集まっても、大砲がなければ陸で戦えず、軍艦がなければ海で戦えない。軍人が活躍する土台をつくったのは間違いなく、重税に耐え抜いた当時の日本の民衆であり、そしてその民衆を支えたのは「和魂」すなわち武士道であった。「自分の身を削ってでも全体を生かす」という意識が国民全体のレベルで浸透していたということが、日露戦争におけるあらゆる奇蹟を可能にしたのである。

だが、そういった明治の波乱の中でも生き残った武士道は、その後予想の付かない方向に進んでいくことになる。他ならぬ日露戦争での勝利がその一因であった。日露戦争は全体としては何とか勝利にこぎつけたものの、局所的には作戦の失敗によって多くの犠牲を払った場面もあり、反省すべき点は依然として残されていた。ところが「勝った」という事実がそれら全てを覆い隠し、勝利の興奮は勝因に対する冷静な分析を妨げた。一人の人間であってもそれは起こりうることで、誰しも自分が取り組んでいた分野において何かしらの成功を収めたとき、「努力していたから成功した」と思う以上に「自分に才能があったから成功した」と思いたくなるものだ。なぜなら前者だとすれば今後も努力し続けなければならないが、後者だとすればこの先それほど努力しなくても成功できるのではないかと期待するからである。できることなら楽をして成功したいと思うのは人間の本能であり、それを律することは決して容易ではない。日露戦争後の日本は、まさにそういった状況にあったのではないだろうか。小さな島国があの広大なロシア帝国に打ち勝ったという事実は当時の国民を湧かせたに違いない。「日本はすごい国なのだ」「日本人は優秀なのだ」と、誰もが誇りに思ったことだろう。だが、日本は決して優秀だから勝ったのではない。努力したから勝ったのだ。明治の日本軍人たちはあくまで合理主義的思想の上で、勝利の確率を1%でも上げるためにあらゆる手段を講じたという。戦場という極限の状況下において「勝つための冷静な計算」を決して怠らなかった。その地道な努力の積み重ねがあって始めて到達し得た勝利だったのである。だが、戦場にいない一般国民にはそれはなかなか伝わらない。国民にしてみれば、ひたすら武士道に従って貧しい生活に耐え抜いた結果、日本が勝ったという知らせが降ってきたのである。「よくわからないけど、我慢すれば勝てる」「日本古来の精神を守れば、日本の神様が勝利へと導いてくれる」といった非論理的な思想が強くなるのも必然であっただろう。やがて日露戦争を指揮した軍人が引退し、そういった神秘思想のもとで育ってきた世代が大日本帝国の中枢を担うようになったとき何が起こったか。「和魂洋才」という言葉は既に忘れ去られてひたすら国粋主義に走るようになり、戦場で作戦を組む軍人でさえ合理的な計算を嫌い、それどころか無茶な作戦を精神と根性で成し遂げてこそ日本男児であると豪語する。国の長たる天皇は過剰に神格化され、「日本は神の国である」「神州日本は不滅である」という根拠のない自信につきうごかされて、国民全体が無謀な太平洋戦争へと身を投じていくのである。

つまるところ、武士道は暴走してしまったのである。一度は外国文化の奔流に飲まれて消えてしまうかと思われた民族精神の火が、したたかに生き残って日露戦争において国を勝利へと導き、やがて太平洋戦争では制御できないほどの巨大な炎となって国そのものを滅ぼしかけてしまうというこの歴史の流れは、『武士道』を書いた新渡戸稲造でさえ予測できなかったのではないだろうか。だが、それこそが日本の精神文化が抱え込んだ宿命だった。武士が腰に帯びる刀が、己を守る武器であったと同時に使い方をあやまれば自らの身を容赦なく切り裂く凶器であったのと全く同様に、個人vs全体の天秤を持つ日本人にとって、武士道という巨大な全体主義は、制御を失った途端に個人を殺戮するシステムと化す。それが現実のものとなってしまったのが太平洋戦争であり、武士道の持つ負の側面が最も顕著にかつ象徴的に表れてしまったのが「特攻」という作戦であった。戦後、日本国民の誰もが「軍部によってだまされていた」と言い、特攻隊のことを洗脳された狂信の徒であるかのように非難する風潮さえあったという。だが、それは他者や国家のことを思いながら自分の命を捨てる決断をした真のサムライたちに対する最大の侮辱だと、僕は思う。彼らは洗脳されていたのではなく、自らの武士道を自らの意志で遂行したのだ。軍部はあくまで兵士らのその感情を利用したに過ぎない。その利用したということ自体が卑劣であり、特攻という作戦が「統率の外道」であったことは誰もが認めるところである。そして軍部が兵士たちのもつ武士道を利用せざるを得なくなってしまったという状況自体が、歴史の生んだ悲劇であった。だが、特攻で散っていった人々は、決して軍部に何かを吹き込まれ、操られていたわけではない。それは「自分の身を挺してでも誰かを守りたい」という、日本人なら誰もが持っている自然な感情に根ざした行為だった。特攻隊の人は狂っていたわけでも、だまされていたわけでもなく、ただ己の武士道を貫くしかない状況で、それを立派に貫いてみせた日本人だったのである。後世を生きる我々が唯一できる死者への手向けは、彼らが示した武士道の美しさと恐ろしさの両方を胸に刻むことであろう。一部の特別な者がとった行動として遠ざけるのではなく、日本人全体が共有する本質的問題としてこれを捉えなくてはならない。それをしない限り、日本はいつまでたっても武士道という巨大な刀を使いこなすことができず、再び自分の身に治療不可能な傷をつけて死んでいくか、あるいは傷を負う怖さゆえに武士道そのものを捨て去って静かに滅んでいくか、そのいずれかの未来にしかたどり着けないだろう。

日本人にとって武士道を失うということは、単純に民族の独自性を失うというレベルの話ではなく、まさに武士道が暴走するのと同じくらいの危険を孕んでいる。それは個人主義vs全体主義の天秤において右の皿に乗っているものが武士道だからであり、その重みが過大になれば天秤は右に振り切れてしまう一方で、だからといって武士道を捨て去ってしまえばその瞬間に天秤は左に振り切れ、今度は横柄な個人主義が暴走を始めるからである。どれほど個人の幸福が重要視されている社会でも、一定の全体主義が存在しなければその社会は必ず衰退し、崩壊する。我々人間の身体は約60兆個の細胞からなっている。それらの細胞には意思こそないものの、一つひとつが遺伝子を持ち、血液から酸素を取り入れて呼吸するれっきとした生命である。にもかかわらず彼らは、細胞単体を生かすためではなく、人間というより大きな生命を維持するために活動している。たとえば血液の中には白血球という細胞があり、彼らはヒトの体内に侵入してきた細菌やウイルスと戦う役目を負っているが、当然ながらその過程で死んでしまうこともある。我々が怪我をしたときに傷口にできる膿(うみ)は、戦死した白血球の遺体が積み重なったものである。また我々の身体全体を覆う皮膚の細胞も、物理的・化学的刺激から内部を守り、外側の細胞から剥がれたり壊れたりして死んでいくのである。白血球や表皮細胞だけでなく、身体中のあらゆる細胞が、自分の好き勝手に動くのではなく、身体全体を生かすという論理の下で働いているのだ。だがもし彼らが「個人の権利」ならぬ「個細胞の権利」を主張し、全体のために自分を犠牲にするのはイヤだと言って役目を放棄したらどうなるだろう。白血球として戦ってくれる細胞がいなければ人間の身体はたちまちのうちに複数の致命的な細菌感染症に罹患してしまうだろうし、皮膚がなければ我々は外からの刺激に対してあまりに脆弱な生物となり、やはり死んでしまうだろう。我々を構成する名も無き小さい生命の尊い自己犠牲の積み重ねの上に、我々の平穏な日常は成り立っているのである。もちろん、社会そのものをこうした人間の身体に例えるのはやや極端な議論である。だが社会もまた、単体ではもろくて何の力も持たない個人が、外界の脅威に対抗するために集合して形成した有機的存在であるかぎり、ある程度の全体主義思想がなければ崩壊してしまうのも道理であろう。日清戦争や日露戦争で日本が勝つことができたのは、日本が近代化に成功したことも大きな要因の一つだが、それと並んで相手国側の政治腐敗という点でも語られることが多い。清王朝は300年近く、ロシア帝国は200年近く続いており、建国当初の理念は薄れて国体は老朽化し、政治家や軍人は私利私欲にまみれて汚職が横行し、上層部がそんな状態では戦場の兵士にも愛国心が芽生えようはずがなく、自らの命を賭してまで作戦を遂行しようという者が圧倒的に少なかったという。(もちろんそんな中にあってさえ国のために勇敢に戦った尊敬すべき兵士が、清朝軍にもロシア帝国軍にもいたということは様々な記録に書かれている。)だが全体の士気の低下は避けられるものではなく、日本に対して敗北を喫したのち、二つの巨大な帝国は滅びの運命をたどったのである。

太平洋戦争後の日本は、戦時教育の反動で愛国心や国家主義を否定する方向に進んでしまった。だが、全体主義そのものが消滅してしまったかというと、実はそうではない。その証拠に、我々は「国のために人生を捧げる」という言葉を聞くとどうも戦時中の情景を想起させるような負のイメージとして捉えてしまうが、それを「社会のために」とか「世のため人のために」という言葉に変えるだけで印象は一転し、尊敬すべき理念としてプラスに捉えることができる。これは「国家」という直接的な単語にはある種のトラウマを抱えながらも、全体主義思想を心のどこかで愛する気持ちを持っているからこそ生じる現象ではないだろうか。戦後の日本人は個人vs全体の天秤を捨てることなく持ち続け、それ故に右の皿に載せるべき武士道もまた持ち続けたのである。戦後の日本がなぜあんなにも早く復興を果たし、世界の経済大国の列に再び並ぶことができたのか。アメリカからの経済援助や、朝鮮戦争による特需といった外的要因が大きかったことは言うまでもない。しかし同時に、日本という国そのものが持つ内的要因が大きく寄与していたこともまた多くの場で指摘されている。『武士道』の「克己」の章において、新渡戸稲造は次のように述べている。

「武士道は、一方においては不平不満をいわない忍耐と不屈の精神を養い、他方においては他者の楽しみや平穏を損なわないために、自分の苦しみや悲しみを外面に表さないという、礼を重んじた。」

「もし、あなたが不幸のどん底にある日本の友人を訪ねたとしよう。それでも友人は真っ赤な目と濡れた頬を見せながらも、いつものように笑って迎えるであろう。」

どんなに辛いことや悲しいことがあっても、泣いたり騒いだりすることで周りの人を煩わせてはならない。自身がどれだけ苦境に立たされても、他者への配慮だけは決して忘れない。それが武士道の上に生きる日本人の姿なのである。不幸な状況に置かれてもなお笑ってみせるという強さを、武士道は日本人に与えてくれた。某日のNHKスペシャルで、東京の歴史を記録した白黒映像をカラー加工して振り返る「カラーでよみがえる東京~不死鳥都市の100年~」という企画が放映されており、全体的に非常に興味深い内容だったのだが、その中で何度も触れられていたのが「ジャパニーズ・スマイル」だった。1923年の関東大震災で壊滅した街の中でも、人々は笑顔を見せていたのだ。そしてそれから22年後、人々の力で復興して震災前以上に発展を遂げた首都が、今度は東京大空襲によって再び焼き尽くされ、敗戦を告げられ、住む家も財産も、そして国家としての誇りも自信も何もかもを失った中でなお、日本人の笑顔はカメラの中にはっきりと映っていた。日本人は戦争の炎によって全てを奪われてしまったが、一番大切なものだけは傷一つ付けずに持ち続けたのだ。もしも新渡戸稲造が戦後の時代に生きていたなら、敗戦のどん底から這い上がってみせた日本人の力の源に武士道があったことをすぐさま見抜いただろう。武士道の火は、明治維新の際に西欧文化の奔流の中でも生き続けたのと同様に、戦後のアメリカ主導の民主主義の中にあってさえ消えることはなかったのである。武士道の生命力がこれほどまでに強い理由は、やはり不文律であるからというのが大きい。日本人は武士道を学校の授業で習うのでもなければ、特定の宗教施設で教えてもらうのでもない。もしそうであれば、GHQがそれを廃止することで武士道を消滅させることができていただろう。だが、武士道は日本社会のありとあらゆるところで無形であるが故の感化力を持ち、家庭においては親から子への「しつけ」として受け継がれているものなのである。特に戦後の日本人は、自分が武士道という価値観を持っているなどと夢にも思っていない場合がほとんどであろう。武士道など意識したこともない、と言いながら、日常生活でいざ何かが起こると真っ先に「人様に迷惑を掛けてはいけない」という思考回路が発動するのが日本人なのである。

日本の全体主義、あるいは武士道にとって、家庭における教育がその主な媒体となったことは『武士道』にも指摘されている通りで、それは江戸時代であろうと戦後であろうと変わらないスタイルだったと言えるだろう。だが実はもう一つ、日本の子どもたちの道徳観形成に対して無視できない影響力を持つものが戦後になって新たに登場した。「漫画」と「アニメ」である。もちろん、戦争より以前の世代にとっても小説という物語形式はあったし、江戸時代の子どもたちは戦国期を描いた軍記物を読み聞かされては武将たちの活躍に胸を躍らせていたという。だが、そういった口伝や小説には欠乏していた視覚情報という直接的な演出を備えた物語媒体、すなわち漫画とアニメが、戦後急速な発展を遂げることによって多様な物語を欲する子どもたちの心を捉えていったことは注目すべき事実である。ではそこで展開された作品内容がどういうものであったかと考えたとき、やはり一番の王道として思い浮かぶのが勧善懲悪の物語、すなわち「正義のヒーロー」、あるいはその女性版である「魔法少女」というジャンルではないだろうか。社会の平和を守るために、それを脅かす悪と戦う。時には相手の卑劣な罠にかかってピンチに陥るが、最後は正義の力でそれに打ち勝ってみせる。そういった言わばお決まりのシナリオに、当時の少年少女たちはどれだけワクワクしたことだろう。いや、現代を生きる我々にも、幼少時を振り返ればきっとその記憶があるはずだ。子ども向けの漫画やアニメは、今も昔もその本質は変わらない。そしてその本質は、家庭において親が子に授ける道徳と同じ内容でありながら、作品世界の中で具体化されて説得力を増し、より直接的な視覚イメージとして子どもたちの心に刻まれるのである。無論、その後彼らは成長し、ある段階で正義の味方への憧れを失って、やがて現実的な思考へと切り替わっていくだろう。だが、彼らが日々の社会生活を営む中で、もしどこかの道ばたで困っている人を見かけたとき、不意に込み上げてくる義務感のようなものを感じたならば、そこにはきっと武士道が根付いているのである。アニメと武士道はあまりにかけ離れていて、その二つに関係性があるわけがないと思う人は、現在放映されている子ども向けのアニメ作品のいくつかを意識して観てみるといい。そこには必ずと言っていいほど、自分の身を顧みずに他の誰かを守ろうとする主人公の姿が描かれているはずだ。それは人として当たり前のことではないかと言われるかもしれないが、それを「当たり前」だと認識していること自体が、乃木大将が語った「武士道は自分を犠牲にして人を助けるものである」という理念が深く根を張っていることの何よりの証拠なのである。

だが、実はそんな日本の武士道にとって正真正銘の危機とでも言うべき時代が、今まさに到来しつつある。それは、大まかには以下に挙げる3つの要因によって論じることができる。まず1つは“家庭教育の希薄化”である。戦前はまだ多く残っていた三世代同居型の家族では、祖父や祖母が普段から孫に対して様々な人生教訓を聞かせたり叱ったりすることができたが、現代ではそういった家族形態は減少し、いわゆる核家族化が進むことによって、家庭においてしつけを直接行うことができる者が父親と母親だけになってしまった。さらには女性の社会進出が推進されるにつれて共働きの夫婦が増加し、昔のように子どもをじっくりと時間をかけて教育していくような余裕が無くなってきているのが実情である。最近よく指摘されることであるが、子どもが悪さをしてもきちんと叱らない親が増え、それどころか親自身がモンスターペアレントとなって他者や学校に迷惑をかけて平然としている事例すら珍しくないという。そんな状況ではもはや子どもの道徳など育ちようもないだろう。数学や国語などの一般的な教科ならば学校や塾で学ばせることができる。しかし道徳教育については、それを体系的に施すようなシステムは日本社会において家庭の他に存在しないのである。現代的な家族形態による弊害は海外諸国においても発生しているものの、キリスト教の教会がある西洋と違って、日本における家庭教育の質の低下はそのまま国民全体の道徳観念そのものの崩壊につながるほどの致命的な問題であるということを、今一度意識しておかなければならない。

2つ目の要因は、前章でも触れた“米国からの個人主義の輸入”である。アメリカの個人主義は本来その延長に愛国心や全体主義をも肯定しうるものであるが、個人vs全体の天秤を持つ日本人にとってその考えは受け入れがたく、個人主義という文字だけを見て「個人を尊重することが正しく、全体を愛することは悪である」と曲解してしまった。そしてそれは当然のごとく日本人の価値観から全体主義すなわち武士道を排斥していく方向に働いた。現代日本社会のいたるところで「どうして我慢しなければならないのか」「好き勝手に生きて何が悪いのか」という声が聞こえてくる。もちろんその主張には一定の正しさが含まれるし、商品に対する需要や消費の増加はむしろ資本主義経済を潤す原動となる。個人の自由意思というのはあくまで尊重されるべきであって、何者によっても否定されるべきものではない。だが、その自由の不可侵性というものを一体誰が保障してくれているのだろうかという点にまで我々は考えを進めなくてはならない。その主語は、他ならぬ法であり国家であるのだ。法や国家がない状態ではホッブズの言う「万人の万人に対する闘争」が生じてしまうからこそ、我々は社会というシステムを作り上げ、各人がそれに対して責任を負うことで初めて個人の自由を獲得したのだ。民主主義とは決して国民が自分の欲望のままに生きていいという思想ではなく、むしろ国民一人一人が社会のことを考えて行動しなければ全てが崩壊してしまう政治形態なのである。民主主義の起源である古代ギリシャに生きた哲学者ソクラテスは、国家に次のように言わせている。「おまえはわが下に生まれ、養われ、かつ教育も受けたのに、おまえもおまえの祖先も、私の子でも従者でもないと、あえて言うのか?」と。新渡戸稲造も『武士道』の「忠義」の章においてこの言葉を引用し、これを日本人が聞いても何ら異常は感じられないと述べている。ところが現代の日本人はどうだろうか。ソクラテスのこの言葉に対して深く共感できる者はどれほどいるだろうか。アメリカでは、第35代大統領ジョン・F・ケネディが就任演説で述べた次の言葉が語り継がれている。“My fellow Americans, ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.”(アメリカ国民諸君、国が君たちのために何ができるのかを問うのではなく、君たちが国のために何ができるのかを問うてほしい。)この言葉はアメリカ国民以上に、現代の日本国民が心に刻むべき一文かもしれない。

以上に挙げた2つの要因も十分大きいものであるが、現代社会の潮流の中で、武士道にとって最大の脅威となるものが3つ目として存在する。それは“科学的思考・合理主義の徹底”である。論理的な知性は、我々人類が獲得した最大の武器であることは言うまでもない。正確な計算と客観性の高い推論を積み重ねることで、我々は宇宙の謎に迫り、スペースシャトルの有人飛行を実現して月に到達することもできたし、生命のメカニズムを探ることで病気に対する確実な治療法を見つけ、平均寿命を延ばすこともできた。現代の日常生活はミクロからマクロまであらゆるものが科学の産物であるし、我々はその恩恵を十全に受けている。だがその一方で、科学への依存はある大きな弊害を生んだ。日本のみならず世界の先進各国において現代人が抱える歪みとして指摘されていることは、「我々は論理的なものを絶対視するあまり、非論理的なものを信じられなくなってしまったのではないか」ということだ。最も端的な例が宗教であろう。現代の教育を受けた人間にとって、天空とは神の住まう場所ではなく地球の大気圏であるし、太陽や月は神ではなく宇宙空間に存在する天体である。人間は神様が土の塊に息を吹きかけて造ったものではなく哺乳類の祖先から進化した存在であるし、人間の心身を侵す病気は決して悪霊や祟りによるものではない。心臓発作で倒れたとき、神社で祈祷をしてもらおうという人はおらず、誰もが救急車を呼んで病院で適切な処置を受けたいと思うだろう。そして現代人のその判断は限りなく正しいのである。もし倒れたときに神社に運ばれても命は助からない。神様でも仏様でもなく、合理的な科学こそが我々現代人を救ってくれる。それが誰の目にも明らかである以上、今のこの世の中で神の存在を信じることは非常に困難だと言わざるを得ないし、信じるとしても話半分というのが多くの人にとっての現実であろう。19世紀末に既にニーチェが指摘していたように、まさに「神は死んだ」のである。西洋において非論理的なものの象徴が神であったとすれば、日本において非論理的なものとはすなわち武士道だった。「自分を殺すことによって全体を生かす」という行為は、どう考えても論理的ではない。かつてその非論理性を支えていたものの一つは、仏教的世界観の中にあった輪廻転生や極楽浄土という思想であった。つまり現世で善行を積めば来世は幸せなものとなり、現世で悪行をなせば来世は悲惨なものとなるという教えである。少なくともこの世限りの生ではなく、その後も何かしらの続きがあるのだという感覚が多少なりともあったことが、潔く己の命を捨てる勇気を武士に与えたと見ることはできる。(無論それでも死への恐怖は残ったであろうし、親しい者との「今生の別れ」は辛いものであったはずで、それを克服して自らの命を捧げた武士たちの覚悟はやはり相当なものであったことに変わりはない。)だが、現代の人々にとっては輪廻転生も極楽浄土も、もはや眉唾物でしかない。死後の世界をちょっとくらい期待することはあっても、それを頭から信じることはできない。なぜなら科学的に実証されていないからだ。科学を信奉する現代人は基本的に「死ねば終わり」と考えるしかなく、あるかどうかもわからない死後の世界よりもまずこの現世での欲望を満たすことこそが最優先課題なのである。当然ながら、そういった状況下で「他者や国家を守るために自分が死ぬ」というような行為はあまりに損失が大きすぎる。命を懸けるどころか、そもそも「自分より他人を先に」という思想そのものが非論理的だと考えるようになる。我慢して徳を積んでも天国に行ける保障はどこにもないのだ。逆に自分の欲望のままに悪事を働いても地獄に落ちることはないし、神様の罰が当たることもない。「巡り巡って自分に返ってくる」という教訓にも、まったく科学的な裏付けは存在しない。ならば自分の好き勝手にやった者勝ちではないか。法に触れさえしなければ、あるいは法を犯しても警察に見つかりさえしなければ、他者に迷惑をかけても失うものは何もないのだ。それが非論理的なものを排除していった合理的な人間の思考の行き着く先である。そこにはもはやかつての誇り高き武士道の輝きは一片も無い。だが、そういった生き方を論理的に批判することは不可能なのである。この世のいかなる道徳にも論理上の綻びが存在し、武士道もまた例外ではない。現代人が論理という土俵の上で物事の正しさを評価する限り、武士道はどうあがいても合理主義に勝つことはできず、やがて退場する運命にあると言わざるを得ないのである。

非論理的な武士道が長らく日本精神の支柱たりえたのは、前述したように一つには仏教由来の来世思想が根付いていたこと、あるいは天罰や神罰といった形而上学的なものへの信仰があったことが大きく貢献していると言える。だが、武士道を武士道たらしめたものは決してそれだけではなかった。武士は、死後に天国に行きたいという打算から主君に忠義を尽くしたのだろうか。天罰が下ることを避けたい恐怖心から他者への礼儀を尽くしたのだろうか。どちらも全くないと言えば嘘になるだろうが、武士道はあくまでそれ自体を「美しい」と信ずる人々の心によって支えられてきたのである。「倫理学と美学は同一のものである」とは20世紀の哲学者ウィトゲンシュタインの言であるが、ではその美意識はどのようにして生まれるのであろうか。我々は何故、非論理的であるはずの「自分の身を犠牲にしてでも誰かを守る」という行動を美しいと思うのだろうか。その答えは実に簡単で、「そういった精神文化の中で育ってきたから」である。だが次に問題となるのは、何故そういった精神文化が生じたのかという点だ。それは、生物がどうして免疫機構を持つに至ったのかという問いと非常に似ている。すなわち、自己犠牲を尊い行為であるとする価値観が、社会の存続にとって必要だったから、社会そのものが進化の課程でそれを形成したと捉えることができるのである。あるいは、人々の間にそういう全体主義的思想を生み出すことができた社会だけが、長い年月の淘汰を耐え抜いて現代まで生き残ったと言い換えることもできる。個人vs全体の天秤をもつ日本社会にとって、特にその思想は不可欠だった。だからこそ武士道というものが生まれた。つまり人間単位ではなく社会規模の、時間的・空間的な広がりをもったより大きな論理の中においては、武士道もまた合理的な産物には違いないのである。だが現代人の合理主義は、あくまで自分自身を基軸とした損得勘定であるがゆえに、結局はそういった広範的な論理とは互いに相容れない関係にある。いくら社会全体にとって必要なことであっても、自分個人の人生に何らかの利益がなければそれを実践する理由にはならないのだ。もちろん社会にとってプラスであるならば個人にとってもプラスになることが予想されるわけだが、そういった社会規模の論理は往々にして遅効性であり、またその恩恵は全体に分散するがゆえに目視不能であることが多い。自分が武士道的価値観を捨てたところで、社会や国家が今すぐ滅ぶわけではない。ならば、そんなものに縛られて自らの幸福をわざわざ制限するような行為に一体何の意味があるというのか。有限の時間を効率的に生きなければならない現代人にとって、社会というものは自身の損得勘定に加えるにはあまりに曖昧すぎるのである。

しかし、「自分一人だけなら」ということを誰もが思い始めると、それは当然ながら社会全体に確実な打撃を与える。だから人々は公の場ではあくまで「他者のため」「社会のため」という精神をたたえる立場を崩さない。けれども、そういった言葉を口にしながら心の中では「所詮はきれいごとだ」と切り捨て、自分の利益を確保する算段を巡らせるようになる。ゆえに、その影響は公的な場所ではなく私的な空間、すなわち家庭における教育において最初に発現すると考えられる。自分に対する甘やかしが、そのまま子どもに対する甘やかしとなるのである。思えば、現代における家庭教育の量および質の低下が懸念される一方で、戦後大きな発展を遂げた子ども向けの漫画やアニメといった文化は図らずもそれを補うような立ち位置にあり、もしかしたらそれは全体主義や武士道的価値観が失われる時流の中で社会そのものが見せたせめてもの抵抗だったのかもしれない。だが、個人主義と合理主義の大波はやがてそれすらも越えて人々の心を支配してしまう。子どもの頃は「正義の味方」や「魔法少女」があれほど格好良く見え、心の底から憧れていたにも関わらず、大人になると誰もがその情熱を失い、「所詮はきれいごとだ」と割り切ってしまう。冷静になって考えてみれば、漫画やアニメに見られるヒーローやヒロインはどうしてあんなに頑張っているのだろう。給料をもらっているわけでもなく、社会での地位が向上するわけでもないのに、彼らは自分の命を何度も危険にさらしながら世のため人のために戦おうとする。どう考えても割に合わないのだ。彼らの自己犠牲的行為は、合理化の進んだ現代を生きる大人たちから見ればまったく理屈の通らないものであり、それに対する「美しい」というイメージは、もはや社会によって無理矢理に植え付けられた幻覚以上の何ものでもない。そういった根拠のない信仰に惑わされることなく、自らを中心とする損得の物差しをしっかりと持ち、他の誰でもない自分自身の幸福をひたすら追求できる人間こそが現実の社会における勝利者であると、誰もが気付いてしまったのが現代という時代なのだ。したがって我々のような大人が今さら子ども向けのヒーローアニメを見たところで、そこにはもはや何のリアリティもなく、どこか遠い世界の出来事のようにしか思えない。「自分の身を犠牲にして人を助ける」という行為を美しいと思う価値観がたとえ残っていても、頭の中の思考はそれを否定し、少なくとも自分自身がそれを実践する論理的な理由を見つけることができない。自分の利益を第一に考えるのは人間としてとても寂しい生き方なのではないかと感じながらも、理屈に従うならばそういうふうに生きるしかない。夢から目覚めた瞬間のような急激な現実感とそれに伴う虚無感が、現代社会全体を覆っているとも言えるだろう。

そんな中で、子ども向けではなく大人向けの深夜アニメとして「魔法少女」を題材にした作品が現れた。2011年放送の『魔法少女まどか☆マギカ』である。科学や論理がかつて神や宗教が占めていた座を奪っていったように、あるいは個人主義思想が武士道的価値観を凌駕していったように、この作品は「正義の味方」や「魔法少女」という聖なる概念に合理化のメスを入れ、とうとうその幻想を切り崩してしまった。主人公の鹿目まどかは、魔法少女として勇敢に戦う巴マミの姿を見て素直に「かっこいい」と感じ、最初は「自分もあんなふうになりたい」と憧れていた。ところがその後、巴マミが敵によって殺されてしまう姿を目の当たりにして、魔法少女として戦うことがいかにリスクを伴うものであったかを思い知らされる。「正義は勝つ」という信仰が壊された後に残るのは、自らの命を危険にさらすことに対する底知れぬ恐怖心だ。死んでしまった巴マミに対して「ごめんなさい。私は弱い人間です」と涙をこぼしながら、魔法少女になることを断念してしまう主人公の選択を、現代人の誰が非難できるだろうか。いや、むしろ誰もが共感できるはずだ。自分の幸せを守るために、あえて「魔法少女にならない」という道を選ぶ物語こそが、現代社会を最もよく反映した魔法少女作品なのである。

だが、だからといって『まどか☆マギカ』がそういった時代の流れに完全に屈してしまった作品であると判断するのは早計であるどころか、大きな誤りである。逆なのだ。現代合理主義の奔流に対抗する、その確実な足がかりを見つけるために「あえて」流された、いや、流れに乗ってみせたのである。現代の日本社会の中で「正義の味方」や「魔法少女」といった物語は、何の打算もない武士道的な献身行為が成立している最後の聖域だったのかもしれない。だが、それも結局は文字通りの子供騙しであって、中身のない虚像に過ぎないということに誰もが気付いている。ならば、そんなものはいっそ全部こちらから壊してしまおう、という姿勢をとったのが『まどか☆マギカ』なのだ。それは一種の賭けのようなものであったに違いない。自分の足場を自ら破壊してしまえば、武士道的価値観を守るどころか合理主義の渦に完全に身を任せてしまうことになりかねない。しかしその足場は誰がどう見ても既に使用に耐えるものではなかった。だからこそ『まどか☆マギカ』は形骸化した「正義の味方」像にあえて引導を渡したのだ。そして、そういったガラクタを一つひとつ取り除いていったあとに、もしそこになお確かな輝きを持った「何か」が残っていたならば、それこそが現代における武士道の新たな足場となってくれるはずだという可能性に懸けたのである。それは今まで曖昧に信じられていたあらゆるものを容赦なく否定していくことで、最後にどうやっても否定することのできない「コギト・エルゴ・スム」(我思う、ゆえに我あり)という命題にたどり着いた、近代哲学の祖ルネ・デカルトの思考過程をも彷彿とさせる。(かつての大陸合理主義を生み出した方法的懐疑と同じ道筋をたどりながらも、それが今度はむしろ反合理主義の出発点を希求するものとして我々の前に現れたことは人類の思想史の奥深さを予感させる。)では、その現代における方法的懐疑の果てに我々を待ち受けているのは一体どのような真理なのだろう。『まどか☆マギカ』の主人公・鹿目まどかは、物語の最終局面においてとうとう魔法少女となった。自分の幸せや家族と過ごす日常を何よりも大切に思い、命の危険を伴う戦闘にあれほどおびえていた一人の少女が、最後に自らの意思で戦場に立ち、過酷な運命へと歩を進めることができたのは何故だろう。それは、かけがえのない友人である曉美ほむらを救いたいという純粋な「感情」からだったと僕は考える。我々現代人は論理的思考を使いこなす一方で、論理にそぐわない曖昧で不正確な思考回路の発現を「感情」と呼び、物事を判断する際にはそれをまるで雑音であるかのように極力排除しようとする。ところが、それを完全に否定することができないというところに現代人の抱える矛盾がある。なぜなら個人主義の根底にある「生きたい」という願いもまた感情だからである。我々は「自分が生きる」という目的のために膨大な論理を駆使し、自らの生活を最適化し効率化することができるにも関わらず、「ではどうして自分は生きなければならないのだろう」という問いにぶつかったとき、強力な武器であるはずの論理がどれ一つとして役に立たないことに気付く。宇宙の物理法則を表す数式をどれだけ積み重ねようと、生命のメカニズムをどれだけ細かく解明しようと、自分という人間がこの世に生きている理由をそれらが提示してくれることはなく、むしろ我々は地球という小さな星の上であくまで偶発的に生まれたタンパク質の塊でしかないのだと思い知らされて逆に追い詰められる。この世のいかなる論理体系を用いても、自らの生に普遍的な意義を与えることは不可能なのである。だが我々の持つ「感情」は、その論理の限界をやすやすと飛び越えて「生きたい」「生きなければならない」という結論を導き出してくれる。現代人は合理主義のもとで論理的な生活を営んでいるように見えるけれども、その根本の原動力は何かと考えたとき、それは普段彼らが「雑音」だと馬鹿にしている感情によって支えられているのである。そもそも感情が本当に雑音であるならば、人間はどうして進化の過程でそんなものを発達させたのだろうか。たしかに、感情というものは日常生活の随所において我々の判断を狂わせる。だが、ウェイソンの4枚カード問題(の身近な物への応用例)のように、それは時として論理的思考より早く正解にたどり着くことさえあるのだ。とあるSF小説の中のセリフに「人間の直観は精密ではないが正確だ」という言葉があるが、それは実に的を射た表現であるように思う。人間の感情とは決して機械におけるバグやノイズのようなものではなく、生物が地上に誕生して以来何十億年という歳月をかけて到達した、合理的な進化の結晶なのではないだろうか。それは言うなれば現代人の論理を超えた次元にある論理である。現代社会において過熱する合理主義思想の支配に対抗できるものがもしあるとすれば、それは「非論理的な論理」と呼ぶべきものであるが、果たして人間はそれを「感情」という形で確かに持っているのだ。

このように、合理主義で敷き詰められた社会の中で、感情という要素はその状況に大きな風穴を開ける力を秘めた鍵であると言える。だが、それだけでは日本人の「個人 vs 全体」の天秤における個人主義の優位性を崩すことはできないのもまた事実である。なぜなら上で述べたような「(自分が)生きたい」という欲求は、まぎれもなく他者よりも自分を重視する感情だからだ。それはむしろ個人主義を強化するものであって、それ単体では全体主義を減じこそすれ、その重みを増す方向には働かない。しかしながら、現代思想の内側に感情を計上することで認識構造の変化をもたらすということ自体には大きな意義がある。ここで注目すべきは、「個人主義は論理的であるから正しいのではなく、結局は自身の感情によって正当性が担保されている」という認識の転換をなしえた点である。そして実は、そこにもう一つのある条件が加わることによって、全体主義を個人主義と対等な立場へと持ち上げることが可能となる。すなわち現代社会が最も必要とするところの、個人主義vs全体主義の天秤を再び水平に戻すダイナミズムが生み出されるのである。ではその最後の切札となる条件とは何か。それは、全体主義もまた感情の上に成り立っていること、つまり「自分よりも他者を重視する感情」の存在である。そしてまさしくそれを、方法的懐疑の果ての究極の状況下で描き出してみせた物語こそが『魔法少女まどか☆マギカ』なのだ。既存の「魔法少女」という在り方を否定し、自己犠牲精神の幻想を打ち砕き、非論理的な社会通念や価値観を全て棄却したあとになお、鹿目まどかは曉美ほむらという他者を救うために一歩を踏み出した。他のあらゆる要素を排していくことによって、人間の自我意識の奥底に刻まれた純粋な感情へとたどりつき、それが献身的行為へと結実する瞬間を描いてみせたのである。そこではもはや「個人主義 vs 全体主義」は単純に「論理的思考 vs 非論理的感情」という構図ではなくなる。個人主義と全体主義それぞれに根拠となる感情があり、そしてまたそれぞれに組み立てるべき論理があるのだ。我々人間の思考において「生きたい」という個人主義的な感情は確かに強いものとして存在しているが、同時に「ただ生きているだけ」という状態に空虚さを覚える心も、実は同じくらい強いものではないだろうか。人間は、誰もが「意味のある人生を送りたい」と願う。だがその「意味」は、自分一人だけで紡ぐことはできない。自己という理性が相手の存在によって磨かれていくのと同様に、自分自身の生の意義は、他者や社会と深く関わっていく中ではじめて具体的に実感できるものとなる。それは合理主義がいかにこの世を支配しようとも洗い流されることのない、人間にとっての本質的な感情である。そしてその心を失わない限り、個人vs全体の天秤の傾きを補正する力は現代社会の中にだって芽吹きうるのだ。

太平洋戦争における特攻を題材にした『永遠の0』においても、以上と全く同様の分析をすることができる。「生きて家族の元へ帰らなければならない」とあれほど強く決意していた宮部が、最後に引き当てた生還の可能性を大石に譲って自ら特攻死の運命へと歩を進めたその姿は、現代の多くの人々の心を打ったに違いない。極限の状況下で他者を救う道を選びとれる強さが人間の魂の奥底にあるのだと、我々は教えられたのだ。それはおそらく日本人にとって、「身を殺して仁をなす」武士道的価値観の再生を示唆する瞬間でもあった。『魔法少女まどか☆マギカ』と『永遠の0』に見られるもう一つの共通点は、主人公が身を挺して守ろうとした対象が、主人公自身にとっての命の恩人であるという点だった。古代中国の歴史書である史記には「士は己を知る者の為に死す」という言葉があるが、その理念は海を渡って日本という島国の武士道の中でも生き続けた。すなわち、かつての武士たちの価値観の根底にあったのは「主君に対する恩義」だったのだ。そして時は流れ、封建制は消滅し、仕えるべき主君がいなくなった現代においてもまた再び武士道の火が灯るのならば、その出発点に「恩」という感情があることはけっして偶然ではないように思われる。そして実際に『まどか☆マギカ』も『永遠の0』も、作品全体を通して見ると「恩返し」が繰り返される物語だったと捉えることができるのだ。曉美ほむらにとって鹿目まどかは一回目の世界で自分を助けてくれた存在であり、孤独だった自分に優しくしてくれたたった一人の友達だった。だからこそ二回目以降の世界で彼女はまどかを守るために奔走するのであるが、最後の世界ではそんなほむらを救うためにまどかは魔法少女になったのである。大石賢一郎にとって宮部久蔵は上官に殴られながらも同僚の名誉を守ってくれた存在だった。それ故に、訓練中に敵機の襲来があったとき身を挺して宮部をかばおうとしたのである。最後の特攻出撃の際に、宮部があえて飛行機を交換してまで大石に生き残る可能性を譲ったのは、単に大石がこれからの日本の未来を担う若者だったからというだけではなく、やはりそういったエピソードを踏まえての行動だったに違いない。『永遠の0』というタイトルは、言うまでもなく特攻の象徴であった零戦(零式艦上戦闘機)を表すものであるが、ではなぜ漢字ではなく数字の0を用いたのか、という点については色々と想像の余地がある。一つには漢字の零にするとタイトル全体が堅苦しくなるため、数字にしたほうが現代のあらゆる層の読者に受け入れてもらえるのではないかという期待があったのかもしれない。また作中では日本人にとっての零戦だけでなく、アメリカ兵が“zero”と呼ぶその戦闘機をどのように捉えていたかという側面も交えて描かれており、零戦の性能や活躍を多視点から記述したいという思いから、あえて万国共通の数字を用いたとも考えられる。だが何より、数字の0という表記によって引き立つのが「そこに何もない」という無の感覚だろうと僕は思う。それは宮部をはじめ特攻隊員の人々が生きて帰ることはなかったという喪失感であると同時に、他者や国家のために自らの命を捨てるという行為そのものの無意味さすらも予感させる。だが、作品を全て読み終えたとき、我々はその「0」の中に、目には見えない何かが満たされていることを確信するのである。たしかに現代の個人主義の理屈では、他者のために一歩踏み出すという行動の不毛さばかりが指摘されてしまう。誰かに恩恵を与える行為の意味がゼロならば、その恩に報いるという行為の意味もまたゼロなのかもしれない。けれども、そのゼロを積み重ねていくのが人間の営みなのだ。たとえ数字の上では0であっても、そこには永遠の輝きを持った何かがあり、人間の真価はその営みの中でこそ紡がれていく。『永遠の0』には、そういったメッセージが込められているようにも感じられるのである。

もちろん、物語はあくまで物語であって、これらの作品が世に出たからと言って即座に何かが変わるわけではない。それらは個人主義に傾倒する世の中にあっても全体主義的思想が生まれうるという希望的観測を示してくれたが、実際に今後の日本社会において武士道的価値観を再構築し、個人vs全体の天秤を水平な状態へ戻していくためには、やはり何らかの具体的なアクションが必要となるだろう。だが武士道は無形の精神文化であるが故に、それは口で言うほど容易なことではない。新渡戸稲造は以下のように述べている。「ヨーロッパと日本の場合の際だった違いは、次の点にある。騎士道は封建制から離れたのち、キリスト教会に引き取られて、新たな余命を与えられた。だが、日本の武士道にはそのような庇護する大きな宗教がなかったことである」と。もちろん日本人が無宗教であるとするのは誤りである。わが国には古来から神道・仏教・儒教という三つの思想が混在し、武士道もまたそれらの中で育まれてきた。だが神道はそもそも聖典らしい聖典もなく、宗教の骨格であるはずの戒律そのものが曖昧であるという、良く言えば日本人らしいが、悪く言えば実に不明瞭な信仰形態である。また本来は経典があるはずの仏教についても、何かの折にお坊さんの読経を聞くことはあっても自分で唱えることはほぼないし、ましてやその文言の意味を理解している人はごく少数だろう。儒教にいたっては学校の漢文の授業で『論語』の一部に少し触れるだけで終わり、儒学関連分野を専攻する研究者かよほどのマニアでなければ「四書五経」全部を通読するということはないはずである。要するに多くの日本人にとって宗教とはその形式でもって日常生活を厳格に縛るようなものではなく、あくまでその場その場に応じた内面的な道徳心を磨くための思想という位置づけなのである。「論語読みの論語知らず」という言葉もあるように、かつての武士たちも、形ばかり整えて行動の伴わない人間に対しては低い評価を下した。だからこそ武士道そのものもまた明確な規定を持たない不文律として生まれたと言えるだろう。だがそれゆえに武士道にも、それを育んだ神道・仏教・儒教にも、日本においては明確な形式が与えられていないということは、武士道的価値観を再生しようとする試みにとってはやはり不利に働くと言わざるをえない。なんだかんだいっても目に見える形式というのは、状況を変化させていく直接的な力となるのだ。いっそこれからの日本に明確な体系を持った新しい宗教が生まれて、それが武士道的道徳を全面的に取り入れて名実ともに広めてくれるならば話は早いのだが、とさえ思ってしまう。しかし、それも結局は机上の空論であって、そもそも日本人は昔から形式性の高い宗教にあまり馴染めなかったからこそ神道・仏教・儒教のいずれもが今のような状態へと消化されてしまったわけであるし、また実際には武士道が何らかの明確な形を得てしまったら、その時点でそれは武士道ではなくなってしまうのではないかという点も大きい。武士道は、やはり家庭において親から子への教育とともに何となく伝わっていくというスタイルが最も自然なのだ。ならば今後の日本人が目指すべきは、家庭教育の質が確保できるような社会をまずは形作っていくことである。それは社会制度の見直しや経済的問題への対処など様々な要素が絡み合った課題であるが、我々はそれを一つずつ解決していかなければならない。一方で哲学的・思想的な分野においては、一般大衆の「アメリカの個人主義」に対する誤解を正していくような啓蒙活動が求められる。個人主義という用語をただ妄信するのではなく、米国と日本の精神構造の違いを踏まえた上で、今の日本社会にふさわしい個人主義のあり方を冷静に模索していく姿勢こそが必要であり、そういった意識を国民一人一人が持つことができれば、状況はきっと良い方向へと向かうはずである。誰の目にもわかりやすい「形」というものに頼らない以上、我々はこういった地道な努力を丁寧に積み重ねていくしかない。だが、結局それこそが人間にとって一番正しい方法論なのではないかと思う。少なくとも先人たちはそうやって武士道を築き上げ、我々の世代に残してくれたのだ。ならば我々現代の日本人も、彼らの子孫として堂々と胸を張れるように、全力でそれに答えるべきではないだろうか。ご先祖様にできて我々にできないという道理はないはずである。武士道は、たとえ武士道という名で呼ばれなくなったとしても、日本人の心の中に何度でもよみがえる精神であると信じたい。

「これらの霊魂、すなわち私たちの勇敢なる祖先がつくりだした武士道精神が死に絶えたわけではない。見る目のある人たちにはそれらがハッキリと見えるはずだ。その証拠に、もっとも進んだ思想をもつ日本人の表皮をはいで見れば、そこにはサムライが現れるであろう。」

およそ百年前に新渡戸稲造によって書かれたこの言葉が、現代においても変わらず真実を突いていることを期待したい。しかしながらその一方で、武士道には暴走の可能性があるのだということもまた、我々が心に刻まなければならない事実である。70年前、太平洋戦争における特攻作戦で命を散らせた兵士たちは正真正銘のサムライだった。それは決して“神風”などではなく、地に生きる人間の精神によって彼らはそれを成し遂げたのだ。そして彼らは決して特別な人間だったわけではなく、むしろ現代を生きる日本人にも同じ精神が流れていることを、我々は自覚しなければならない。彼らの死は70年という歳月を超えてなお、「どれほど辛いことだとわかっていても、それを選択できてしまう勇気を我々日本人は持っているのだ」と、現代人に語りかけているような気がしてならない。いや、我々はむしろその声を積極的に聞き取るべきであろう。それは誇りに満ちた声であると同時に、一種の警告のようでもある。武士道は美しいけれども、それゆえに使い方をあやまれば社会にとって計り知れないほどの被害を生む。特攻に赴いた兵士たちの気高き武士道は誰によってもその名を穢されることはないであろうが、特攻という作戦そのものはそういった武士道につけこむ“統率の外道”であったことは、『永遠の0』においても何度も触れられている通りである。今後日本という国の歴史が続く限り、二度とあの特攻隊のような悲劇が繰り返されてはならないということは、改めて言うまでもないことだろう。

そしてそれはつまるところ、「個人主義 vs 全体主義」の天秤を水平に保つ、ということなのである。武士道はその天秤を右側に傾けようとするが、それを制御するためには個人主義側の思想もしっかりと持ち続けなくてはならない。無論、逆もまた然りである。それは必然的にダブルスタンダードの状況を生んでしまうわけだが、上述したように人間の感情そのものに二重性が存在するのだから、ある意味では自然な在り方に沿った精神文化を我々は持ち得ていると捉えることもできる。個人vs全体の天秤を持つ日本人は、唯一絶対の尺度を持たずに常にそのバランスを模索し続けるという最も不安定な、しかし最も本質的な生き方をずっと実践してきたのである。考えてみればかつて日本にいた本物の武士たちにしても、彼らが常に自己犠牲を美徳とし、武士道精神を完璧なまでに遵守していたかというと、きっとそんなことはなかったに違いない。江戸時代にも政治腐敗が生じていたことは記録に残っているし、また戦国時代は生きるか死ぬかの世の中であり、他者に情けをかける甘さは文字通りの命取りにもなったはずだ。そもそも武士とは「戦う者」なのであって、戦場において自分が生きるために相手を殺すという、人間がすることの中でもっとも利己的な行為を生業とする階級だったのだ。本来がそういった個人主義を突き詰めたような存在であったからこそ、それを中和するかのように彼らは全体主義的な武士道という理念を生みだし、できる限り自らを律しようと努めたのではないだろうか。「義」「勇」「仁」「礼」「誠」を柱とする武士道、あるいは新渡戸稲造がその著書に記した武士道の概念は、実は武士の生き様のちょうど半分しか表現できていないのである。『永遠の0』の宮部久蔵のように、自分や自分の家族を深く愛し、何としてでも生きようという信念を貫く強さもまた、いわゆる武士道には描かれない部分においての武士のあるべき姿だったに違いない。命の重さを誰よりも知っているからこそ、それを懸ける行為が尊いのである。武士道は、個人主義的な価値観とは切り離せない関係にある。いや、むしろそういった個人主義と全体主義の両方の側面を併せ持った広い意味での武士道こそが、真の武士道であると言えるだろう。「敷島の大和心を人問はば朝日に匂う山桜花」と本居宣長が詠んだように、桜は日本民族が古来より愛した花であり、そして散るべき時が来れば潔く散っていくその姿は武士道の美学を映すものでもあった。だが、桜の命は、春の暮れに花が散ってそれで終わりなのではない。夏には樹いっぱいに豊かな緑色の葉を湛え、秋にはもみじやイチョウに負けじと鮮やかな紅葉を見せ、そして冬にはその葉を全て落とし、寒く厳しい季節にじっと耐え抜いて生命の火を絶やすまいとする、そういった目に付かない部分での強さをしっかり持っているからこそ、春にはあの美しい花を満開に咲かせることができるのである。春の暖かさと冬の厳しさ、全体主義と個人主義、感情論と合理主義、そういったあらゆる要素を内包することではじめて、武士道は真に普遍的な価値観たりえるのではないだろうか。

武士という花が咲き誇った封建時代は遠い過去のものとなり、武士道という樹にとって現代はあらゆる魅力を失ってしまった冬の時代と言えるかもしれない。だが、だからと言ってその樹を切ってはならないのである。花が無く、葉が無くてもその樹はしっかりと根を張って生きている。もちろん、この先の日本の歴史において武士の世が再び復活することはないだろう。だがこの樹を守り、現代思想の寒波にも耐え、それに適応していく気概を日本人が持ち続けることができるならば、いつかきっと一人一人の心の中にあの花の香りが漂う日が訪れるのではないだろうか。現代を生きる日本人の一人として、それを心の底から期待したいと思う。




■ 参考作品/文献

・ 百田尚樹「永遠の0」講談社文庫(2009)
・「魔法少女まどか☆マギカ」シャフト(2011)
・ 新渡戸稲造著、岬龍一郎訳「武士道」PHP文庫(2005)
・ 司馬遼太郎「坂の上の雲 8」文春文庫(1999)
・ 神林長平「戦闘妖精・雪風」ハヤカワ文庫JA(1984)


前の記事≪   | ホーム |   ≫次の記事

[ コメント ]

[ コメントの投稿 ]


 

 プロフィール

柾葉 進  (まさば すすむ)

 ブログ内容

哲学、歴史、文学、評論等。アニメやエロゲ(美少女ゲーム)を切り口にして論じたものが多数あります。

 ブログ案内

 全記事リスト

全ての記事の一覧

 ブログ内検索

 連絡先

pantheratora2369
☆zoho.com
(☆を@に変えて下さい)

 カテゴリ

 年別アーカイブ

 新刊情報

 
● 「東大医学部卒が語る 医師国家試験多浪体験記」

 準新刊情報

 
● 「私たちが選挙に行く意味は本当にあるのだろうか?」
 
● 「Boys,be unprecious!」

 刊行書籍

 
● 「『永遠の0』と『魔法少女まどか☆マギカ』の類似点に関する考察」(2015年)
 
● 「美少女ゲーム作品にみるニーチェの思想」(2015年)

 RSSリンク

 

FC2Ad



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。