語りえぬものはかく語りき

柾葉進の徒然なる随想ブログ

2019-10

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[2018-12-30]  平成とニーチェとラブライブ  

「私は、0を1にしたい。」


2018年、平成最後の大晦日。その記念すべきNHK紅白歌合戦の企画コーナーに、「Aqours(アクア)」というグループが出場することになっています。

Aqoursとは、アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』の作中にて主人公らが結成したアイドルグループであり、現実世界においてはそのキャラクターの声優たちがユニットを組んで歌やダンスを披露しているという構図になっています。

思い出すのは、2015年の紅白歌合戦に出場したμ's(ミューズ)。彼女たちもまたアニメ『ラブライブ!』由来のグループなのです。『ラブライブ!サンシャイン!!』は『ラブライブ!』の続編であり、作品内でもAqoursはμ'sの後継者のような位置づけで描かれます。そしてこの冬、現実世界においてもAqoursはμ'sのたどった道をふたたび踏み往くことになるのです。

僕は『ラブライブ!』の作中で歌われる曲はどれも好きですし、キャラクターの少女たちもとても可愛く魅力的だと感じます。しかし、僕自身が『ラブライブ!』のファンである最大の理由は、そのどちらでもありません。シナリオです。『ラブライブ!』は、音楽でも絵でもなく、脚本こそが素晴らしい。王道でありながら、あれほど斬新な感動、そして洗練された構成美を体現した脚本には、なかなかお目にかかれません。

そしてその点で、僕は続編である『ラブライブ!サンシャイン!!』のほうは正直微妙という感想しか当初は持っていませんでした。前作に比べて、どうも煮え切らない。どこまで行っても二番煎じ感がぬぐえず、シナリオの威力が足りない……。そう思いながら見ていました。

ところが、その認識をひっくり返す瞬間が訪れたのです。『ラブライブ!サンシャイン!!』の1期12話。あまり大仰な言葉を安易に使いたくないですが、この12話は、アニメ史上に残るレベルの伝説回です。少なくとも僕個人はそう確信しています。

 *  *  *

『ラブライブ!サンシャイン!!』1期12話のストーリーの流れは、以下のようなものです。

・母校の廃校の危機を救うためにAqoursを結成した主人公・千歌。しかしスクールアイドルとしての実績はふるわず、来年の入学希望者数は「0」のまま。

・μ'sを目指して一生懸命頑張ってきたのに、どうしてμ'sのようになれないのか。自分たちとμ'sではいったい何が違うのか。千歌は自室にあるμ'sのポスターを眺めながら、その問いに悩み続ける。

・そんなとき、千歌の頭に一つの考えが浮かぶ。「Aqoursのみんなで、μ'sの母校の音ノ木坂学園に行ってみよう」と。

・静岡の片田舎から東京の中心部へ、電車ではるばる向かう9人の少女たち。彼女たちが辿り着いた先で目にしたのは、音ノ木坂学園の威風堂々たる校舎だった。

・万感の思いを胸に立ち尽くすAqours。自分たちが憧れ続けてきたμ'sゆかりの何かがあるのではと期待する9人に、通りすがりの一人の生徒が気付き、そしてμ'sについて話してくれる。しかしその内容は、Aqoursの期待を満たすものではなかった。

「残念ですけど、ここには何も残ってなくて……」

「μ'sの人たち、何も残していかなかったらしいです。自分たちの物も、優勝の記念品も、記録も。」

「物なんかなくても、心はつながっているからって。『それでいいんだよ』って。」

・ふとそこに、「行くよー!」と近所の子供の掛け声が聞こえてくる。子供は道を全力で駆けながら、母親の「転ぶわよ」という声も気にとめず、階段の手すりを上手に滑り降りていき、着地を決めて満面の笑顔でピースサインをしてみせた。千歌たち9人は、μ'sにつながるヒントを得られなかった落胆の中、その子供の姿をただ漫然と見つめていた。

・東京からの帰りの電車内、夕暮れの景色を眺めながら、ハッと気づいたような表情をする千歌。彼女はAqoursの面々に「海、見ていかない? みんなで!」と誘い、途中下車する。

・千歌たちが偶然降りた駅のそばにあった浜辺。実はそこは、他ならぬμ'sが解散を決めた場所だった。千歌を含めてAqoursはそのことをつゆも知らない。しかし運命的な海の景色を前に、彼女は自分の思いを言葉にする。

「私ね、わかった気がする。μ'sの何がすごかったのか。」

「たぶん、比べたらダメなんだよ。追いかけちゃダメなんだよ。μ'sも、ラブライブも、輝きも。」

「μ'sのすごいところって、きっと何もないところを、何もない場所を、思いっきり走ったことだと思う。」

「μ'sみたいに輝くってことは、μ'sの背中を追いかけることじゃない。“自由に走る”ってことなんじゃないかな。全身全霊。なんにもとらわれずに。自分たちの気持ちに従って。」

・けれども、皆が自由に走ったら、バラバラになってしまうのではないか。共通の目標はやはり設定しておかなければならない。……そう指摘するメンバーの声に、千歌は振り返って次のように答える。

「私は、0を1にしたい。それが今、向かいたいところ。」

・千歌の笑顔に、皆が同意をもって答える。今までのようなμ'sへの憧憬ではなく、「0から1へ」という確かな合言葉を胸に刻み、円陣を組む9人。

・その後、電車を待つ千歌が、ふとホームの端のほうに歩いていくと、空から一枚の白い羽根が降ってくる。それを受け取り、何かを確信したかのように微笑む千歌。

・自宅に帰ったあとの千歌の部屋。その壁には、今までずっと貼ってあったμ'sのポスターはなく、ただ跡だけが残っているのだった。

 *  *  *

以上が要約となります。このシナリオの何が素晴らしいか、皆様お分かりでしょうか?

この12話の魅力は、一言でいうならば“矛盾”を描いたことにあります。

μ'sを目指さないことによって、Aqoursはμ'sに一歩近づいた。
μ'sを追いかけないからこそ、Aqoursはやがてμ'sと同じ輝きを手にすることができる。

この素晴らしい矛盾を、実にさわやかに、美しく描ききった脚本ではないかと思います。しかもこの矛盾は、実は人間にとって最も根本的なテーマと結び付く可能性を秘めています。

なんでもかんでもニーチェと結び付けるのは安直極まりないし、哲学と作品の双方の品位を下げることになるというのは重々承知しています。しかし、これだけはあえて言いたい。

ラブライブサンシャイン12話は正真正銘、ど真ん中直球のニーチェなのです。

「君たちは、まだその自己を探し求めない前に、この私を見出した。信者というものはすべてそうだ。それゆえに、すべての信仰はかくもみすぼらしい。いまや私は君たちに命じる。私を棄て、君たち自身を発見せよ、と。そして君たちがみな私を否定したとき、はじめて、私は君たちのもとに帰ってくるであろう。」

これはニーチェが考える理想の預言者ツァラトゥストラの台詞です。つまりニーチェは、真に人類を救う預言者が現れたとき、その者は上のように語るはずだと考えたのです。

イエスもムハンマドもブッダも偉大な預言者でした。しかしその預言者を無条件に崇拝し、彼らが残した言葉を一言一句変えずに妄信し続ける。そんなことで、果たして人々は幸せになれるのか。本当の意味で善い生き方をすることができるのか。

そうではない、とニーチェは言います。預言者の言葉を追いかけるのではなく、まずは自分というものをしっかり持て。高尚な何かにすがるのではなく、自分の二本の足で地面を踏みしめろ。それができたときにはじめて、預言者が抱いていた理念と同じものを自らの中に見出せるはずだ、と。これこそが、有名な「神は死んだ」の本懐です。

これは宗教的な話に限らず、現実生活の様々な物事に通じる真理ではないでしょうか。

とある漫画家のサイン会に、漫画家志望の青年が参加して、「面白い漫画を描くにはどうすればいいですか?」と聞いたとき、その漫画家はこう答えたそうです。「そういう質問をしている限り、君に面白い漫画は描けない」と。この話を初めて聞いたときは、そこまで突き放した言い方をすることもないのにと青年に同情しましたが、今思えば漫画家のこのセリフは、青年に対する最大級のエールだったのかもしれません。

形や言葉を何も残さず、「それでいいんだよ」と言いきってみせたμ'sもまた、けっして淡泊だったわけではなく、むしろ自分たちの後に続くスクールアイドルの可能性を心の底から信じていたからこその決断だったのでしょう。

では、スクールアイドルの可能性とは何か。μ'sは「物なんかなくても、心はつながっているから」と言ったけれども、それは一体どういう心なのか。

サンシャイン12話の一番すごいところは、これをμ's本人の言葉ではなく、その場に偶然現れた無邪気な子供の笑顔に仮託して表現したことです。

人間の輝きとは何か。

それは、転ぶかもしれない状況でも前へ向かって進むということです。この道がどこに続いてるかもわからない、何の意味もないかもしれない、そんな状況であっても、ひたすら前へ前へと歩を進めていくということです。

子供のころは、前進がただ前進であるというだけで楽しかった。しかし誰もが大人になるにつれて打算を覚え、目的を意識し、不毛を恐れて悩んでしまう。それはたしかに、精神の自然な成長だといえばその通りです。けれども人間の生の尊さの源泉は、あのころ誰しもが持っていた、前進への絶対的肯定感にこそあるのではないか。子供の笑顔にみなぎる生へのひたむきさを、人は忘れてはならないのではないか。ニーチェは次のように述べています。

「だが、言え、我が兄弟たちよ、獅子もなしえなかった何ごとを、子供はさらになしうるのか? なぜ、強奪する獅子は、さらにまた子供にならなくてはならぬのか? 子供は無邪気そのものであり、忘却である。一つの新しい始まり、一つの遊戯、一つの自力でころがる車輪、一つの第一運動、一つの神聖な肯定である。そうだ、創造の遊戯のためには、我が兄弟たちよ、一つの神聖な肯定が必要なのだ。いまや精神は自分の意志を意欲する。世界を失った精神は自分の世界を勝ち得るのだ。」

だからこそ、Aqoursがたどり着いた答えは、「0から1へ」。

何もないところを、何もない場所を、全身全霊で駆け抜けていく。真空の宇宙空間で、ただひたすら光を放ち続ける太陽(サンシャイン)のように。それこそが人間の輝きであり、アイドルの輝きなのだと。

ラブライブ!サンシャイン!! 12話。

ここにおいて、Aqoursにとってのμ'sという「神」は死んだ。しかしμ'sを否定するというまさにその行為によって、Aqoursはμ'sの高みへと届く羽を手に入れる。

永劫回帰の運命の中で一歩踏み出す超人(Ubermensch)のように、0から1へ。何もない場所を、ただ前へ前へと進んでいくことこそが輝きなのだと確信して。

 *  *  *

いま、平成という一つの時代が終わろうとしています。次の元号、すなわち新しい時代の“名前”が何になるのかまだ国民には知らされていませんが、しかし新しい時代をどんな世の中にしていくかという“内容”を決めるのは我々国民一人一人です。

そして、いざそういったことを考えるに当たって、『ラブライブ!サンシャイン!!』のAqoursが見出した「0から1へ」というテーマは、大いに参考になるのではないかと僕は思っています。

昨今の世界は、この「0から1へ」の精神を見失いがちではないでしょうか。あまり具体的に書くと政治色や思想色が出てきて野暮ったくなるのでここでは避けますが、世の中には「そんなに無理に1にしなくていいよ!」という声、「0も個性だ!多様性を尊重しよう!」という声が跋扈していないでしょうか。

理性的・知性的な言葉は聞こえがよく、感情的・本能的な言葉はすぐさま非難の対象となってしまう。たしかに理性は人間にとって重要な武器です。しかし感情をおろそかにする社会で人々は幸せになれるのでしょうか。

きれいな世の中は、精神論や根性論をまるで不潔なもののように扱います。論理的ではない、合理的ではない、と。その風潮は、やがて「人が生きる」ことそのものにさえも理屈を求め始めます。自分なんかが生きていて意味があるのだろうか……そもそも人間という種が存在する意義とは……もはや人類が絶滅したほうが地球にとっては良いことなのでは……などなど。

そういった非生産的な考えに陥りかけたとき、我々が思い出すべきは“子供”が持つ本能や感情ではないでしょうか。赤ん坊は「なぜ生まれてきたか」など考えない。ただ「生きたい」、それだけです。

転ぶかもしれない、理屈では危険因子がいくつも推測される状況で、それでも人の足を進めるものがあるとすれば、それは根性です。何の意味もないかもしれないのに、前進がただ前進であるというだけで肯定できる子供のような精神です。「創造の遊戯のためには一つの神聖な肯定が必要なのだ」とニーチェが語ったように。

最近のアニメは、「主人公が最初から強くて、特段努力しなくても相手に圧勝できる」というタイプの脚本が多くなってきている印象を受けます。もしかしたら社会全体が疲れているのかもしれません。僕自身の中にも、その手のストーリーを好む気持ちが存在します。

しかしそんな中で、ラブライブ!は一昔前のスポーツ漫画にも似た、根性論チックな“努力と成功の物語”になっており、しかも“何かを目指す”という行為に内包された矛盾、そして正しさを見事に描き切っている点が、僕の心を打ちました。

平成最後のNHK紅白歌合戦。

Aqoursの出場を通じて、新しい時代の哲学について皆が考えを巡らせる。そんな企画になればいいなぁと思います(無茶振り)。


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